【恐怖】「ファラオの呪い」犠牲者20人!相次ぐ変死の謎に迫る!

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エジプト5000年の歴史を刻む神秘な場所

首都カイロから南に600キロ

世界遺産の街 ルクソール

岩山に囲まれた王家の谷には紀元前16世紀から多くの王たちを中心に

60以上の墓が集中している。

1922年11月古代エジプト王朝ファラオ

ツタンカーメン(紀元前14世紀)墳墓の入り口発見された。

土壁で封印された入り口を破り墓の調査団が目にしたのは、

700点もの豪華な副葬品

黄金輝く品々は、古代エジプト王朝の繁栄をうかがわせる財宝だった。

財宝が納められていたのは、通路と封印した壁を壊した先の前失。

続いてツタンカーメンが眠る棺を求めて、さらに奥へと調査の目は向けられた。

次々と現れる新発見は連日のように報道され墓の外は見物客であふれかえっていた。

発掘隊のリーダー、イギリス考古学者ハワード・カーターと、

そのスポンサー、カーナポン卿はまさに時の人であった。

2月17日、奥の封印する壁こじ開けたところ、棺を納めた巨大厨子発見され

ツタンカーメンの遺体は目前だった。

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【恐怖】「ファラオの呪い」

そして、事件は起きる・・・

カーナボン卿倒れる。

3月下旬、全身が炎症を起こす敗血症を発病。

半月後、1923年4月4日の夜・・・

「彼の呼ぶ声を聞いたハァハァ・・・彼に付いて行かなければ」

数分間の停電ののち・・・カーナボン卿 死去・・・

発掘を始めてから半年も経たないうちの死だった。

カーナボン卿、謎の病気と突然の死

それは、不吉な噂として世界中に広まった。

発掘隊を出したイギリスでは、小説家がカーナボン卿に警告したという。

彼は秘密の毒にやられたのよ」とのちに話す。

また、カーナボン卿の遺体を乗せた船は、呪いで沈没するのでは・・・

と噂が広まり、大勢の乗客が相次いでキャンセルしたり、エジプト美術の収集家たちが、

呪いを怖れコレクションを博物館に返したいとする騒ぎまで起きたのだ。

カーナボン卿の死によって発掘は一時的に中断。

ところが・・・カーナボン卿死去から半年

呪いはロンドンに上陸した

カーナボン卿の弟、死亡

彼は、王の墓に入った事はなかったが、今回の事は家族にまで

影響を及ぼすのではないかと不安がっていたと言う。

犠牲者20人!相次ぐ変死の謎に迫る!

4ヶ月後、スイス

ツタンカーメンのミイラを調査することになっていた、X線技師

アーチボルド・リード卿・・・渡航直前に死亡

呪いの対象は、関係者伝いに拡大

ジョージ・グルード、ウルフ・ジョエル、アーチボルド・リード卿

死者も増えていった。

一方、カーナボン卿の死去で中断されてから2年半の

1925年1月発掘作業は、本格的に再開された。

巨大な4重に重なる厨子を慎重に解体していく。

やがて現れたのは、3重に覆われた人型の棺。

そして、人型の棺を開け続ける、カーターの前についに驚くべく財宝が現れた。

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黄金のマスク

ツタンカーメンの遺体の顔に被せられていた。

さらに、遺体の包帯まで取り除かれミイラが白日の下にさらされた。

すると・・・

6人目、王墓の研究者エジプトで・・・死亡

・・・・・

10人目、ハワード・カーターの元秘書・・・死亡

・・・・
12人目、その秘書の父親・・・死亡

やがて犠牲者は20人を超え、とめどなく広がる呪いに世界中が震えあがったのである。

呪いの謎解き

ニューヨーク、エジプト芸術のコレクションでも知られるメトロポリタン美術館

発掘開始から12年後の1934年呪いの謎解きがなされた。

当時、館長を務める、ハーバード・ウィンロック。

彼は、ツタンカーメンの棺の調査に立ち会うなど、まさに現場を知る当事者

として検証結果を新聞に公表したのだ。

最初の犠牲者とされる、カーナボン卿は、元々重大な手術を2度も受けるる程、大きな病気を患い健康とは、程遠い状態でした。

最初に墓の入り口を発見したとき、現場には40人程いましたが

カーナボン卿以外、全員健在。

財宝があった墓の前室に入ったのは22人、

その現場にいた人で亡くなったのは、カーナボン卿入れて5人死亡。

王の棺を開けたのは22人、そのうち死亡したのは2人。

ミイラの包帯をはがす現場には10人、

最も呪いのかかりそうな現場にかかわらず、全員健在。

死亡した6人の健康状態を見てみると、長年病気を患ってる人や

年齢が高めの人が大半を占めています。

他の十数人の場合は、調査団とランチをしただけで関係者とみなされたり

発掘とは無縁の殺人事件までエジプトで起きたというだけで呪いに

数えられたりしているのです。

さらに、ウィンロックは、この呪いの真犯人として

重大な指摘をしている。

ロンドンタイムズ紙に良い感情を持っていない記者たち

当時、ロンドンタイムズ紙はツタンカーメン発掘の独占取材をする権利を

持っていた。他の新聞社は不満を持ち、別の角度から面白、おかしい

記事を書こうとしていました。

ロンドン・タイムズが独占取材できたのは、

経営にカーナボン卿の親戚が関わっていたからだと言われている。

人類史に残る世紀の発見が情実がらみで、捻じ曲げられた。と

捉える新聞記者も少なくなかった。

発掘現場では、直接取材が出来ない記者たちの中に、

カーナボン卿への恨みが渦巻いていたのだ。

そのさなか、カーナボン卿が病気で死亡してしまった。

これを各紙は、呪いと結び付け特ダネとすることでロンドン・タイムズに対抗

その後も、あらゆる人物の死亡を呪いのスクープ記事として掲載し続けた。

こらが、邪眼

これらがファラオの呪いの全容である。

ツタンカーメンの呪い

それは、憎しみや、妬み、うしろめたさから広まった噂が

人々の心を縛り続けることで生まれたものである。

 

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