平将門の首塚にまつわる怨霊伝説の謎に迫る

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あなたは大都会の東京の中心に1000年を超える

伝説の王が眠っているのをご存知だろうか?

この地を冒とくする者には、ことごとく呪われ

多数の死者が出たという最強のミステリースポット。

平将門の首塚

千代田区一丁目うっそうとした空間がある。

通称・・・将門塚

およそ1200年前平安時代の王族

平将門の首をまつっている。

怖ろしい怨霊伝説

将門の荒ぶる魂を鎮める為建てられた石碑

かつてここには、その名もとおり

明治時代に、巨大な塚が設けられてあた。

高さ6m周囲27m巨大な木々に囲まれ

昼でも暗く危機迫る場所。

塚の前には大きな蓮池が広まり

明治期は、大蔵省の敷地内にありながらも

いにしえの姿を静かにとどめていたという。

しかし・・・

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平将門怨霊伝説

祟り!大蔵省連続怪死事件

大正12年9月1日・・・関東大震災

大蔵省の庁舎が全焼!

その為、大蔵省の仮庁舎が建てられた。

震災から2ヶ月後首塚に手がかけられた!

塚を崩し蓮池を埋め立てその上に

仮庁舎が建てられたのある。

やがて仮庁舎は完成!

すると、現役の大蔵大臣が病死

大蔵省の建築関係者をはじめ

関係者が10人も死亡したのだ。

しかも、けが人も続出。

さらには天罰のように大蔵省に落雷!

周辺の官庁まで焼き尽くしてしまったのだ。

日本を占領した連合軍GHQ祟られる

昭和20年敗戦直後の東京に、

空襲による焼け野原が残る時代。

もとの場所で再び祀られたいた将門塚に

今度はGHQが手をかけようとする。

大手町に巨大な駐車場を建設中

首塚を潰そうとしたところ・・・

ブルトーザーが横転し、運転手が死亡

その後も、不審な事故が相次いだ。

そして、首塚の取り壊しは中止になったという。

大蔵省、GHQ将門の怨霊は、

首塚に手を出そうとした官僚や権力者に

次々に災いを及ぼしたのである。

日本史上最も恐ろしい怨霊に数えられる

平将門の歴史

平安時代、北関東の一豪族だった将門は

周辺の豪族たちを次々に打ち破り

関東全体を支配!

将門は朝廷からの支配から独立し

こう名のる・・・新皇

これは、天皇と朝廷の反逆行為だった。

将門は、朝廷側の討伐軍に抵抗するが

野望半ばにして敗北。

その首は、京都に運ばれさらし首になった。

ところが伝説では、将門の首は

夜な夜な怪しい光を放ったうえ

「私の胴体を返せ頭をつないで一戦してやる」

そう叫んだ将門の首は胴体のある関東へ

飛び去つていった。

将門の首塚はその首が落ちた場所とされている。

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ここで謎解き

真教上人が首塚を修復神社に祀ったところ

祟りは収まったと言われている。

それなのに、大都会東京の中心で

20世紀になり祟り伝説がよみがえったのか?

大蔵省とGHQへの祟りは本当にあったのか?

当時の新聞によると大蔵大臣が確かに

現役のまま死亡している。

しかし、実はこの早速は首塚の取り壊しには

関わっていないうえ、死亡したのは3年もあと。

他の大蔵省の死亡記事はあったが、連続して

十数人が死亡した記述はない。

また落雷で大蔵省の庁舎が焼失した火災は、

起きたのは、墓を潰してから17年もたった

昭和15年である。

そもそも雷が落ちたのは、大蔵省ではなく

航空局である。

当日は、東京の20か所に落雷する大荒れで、

大蔵省を狙った落雷ではないようだ。

そんな中、初めて祟りを記した記事があった。

首塚が潰されてから5年後!

昭和3年3月27日

大蔵省が将門の鎮魂債を行った時のものだ。

「将門の霊よこの通り謝る。」

帝都の真ん中、しかもおかめしいお役所で

昔ながらの怨霊を鎮る祭りが行われた。

記事によると、大蔵省で死亡者が14人相次いだうえ

首塚を土足で踏みつけたせいか、

足を怪我する者が続出。

大蔵省内で誰ともなく「祟りだ」と

噂されたのが理由だという。

将門の祟り伝説は、

この一連の鎮魂祭記事が出どころのようだ。

大蔵省は、この庁舎を撤去して、

首塚を石碑を立て直したのだ。

それではGHQでのブルトーザー死亡事故は?

噂の出どころは、「将門の記」昭和43年

そこには、ブルトーザーを運転していた

日本人が突然の事故で死亡したとだけ、

ブルトーザーが横転とか不審な事故が相次いだ

とまでは確認できなかったが。

死亡事故は起きているようだ。

しかし、GHQは祟りなど眼中にない。

そこで、工事を中止するため立ち上がったのは

地元の人たちだ。

事故の事を知るや彼らはGHQに向かい

ここは、古代の王の墓だ」と

訴えた。

何度も陳情をしたため、首塚は駐車場にはならず

守られた。

工事は、塚のわずか50㎝出前まで来ていたという。

この時、GHQへの陳情にたったのが神田在住の

遠藤政蔵さん。神田から遠藤さんが駆け付けたのには、

400年前からの因縁があった。

時代よりも前、神田という地名は

大手町一体も含んでいた。

首塚の近くには平将門の神社とお寺があった。

その神社の名は、神田明神。

江戸幕府を開いた徳川家康が将門を関東の主として

祀ったのをきっかけに神田明神は将軍から庶民まで

全てを守る総鎮守となった。

神田明神は江戸時代の初めに今の場所に移された。

今も、神田、日本橋、大手町、秋葉原など

広大な範囲の総氏神である。

近年新しく作られた直された将門神輿

江戸の守り神となった将門はその後も

人々から崇拝され尊敬を集め続けた。

将門の首塚は怖ろしい怨念渦巻く場所でなく

江戸の街を守り人々に愛される守り神なのである。

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