【最悪兵器】地雷の威力と進化・現代も残る地雷の被害の謎に迫る!

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現在約5000万個の地雷が森や水田、砂漠、海底
に眠っている。
本来の標的は、軍艦や戦車や兵士だが、
現代も多くの民間人がその犠牲になっています。
現代の脅威・・・地雷の被害の謎に迫ります!

【最悪兵器】地雷の威力

第二次世界大戦以来、世界各地でおよそ4万個の

地雷が、機雷が配備されてきました。

幾つもの戦争を経て地雷は戦略的に

重要な存在となり近代の戦闘の在り方を変えました。

地雷は、現在あらゆる規模の軍隊にとって

不可欠な武器となっています。

地雷は季節や時間などを問わずに使う事の出来る武器です。

直接、敵に危害を与えるだけでなく、

心理的な脅威を与える事もできるのです。

たとえは、100$の地雷10個で、敵の戦車を

10台破壊すれば4000万$近い被害を与える事になります。

資金面で考えても、地雷という武器は低コストで、

ハイテク兵器を打倒することの出来る実に有効な道具なのです。

つまり、便利な武器だからこそ、

これほど世界に広まったのです。

現代も残る地雷の被害

問題は、戦闘が終結した後も地雷は残り、

民間人に危害を及ぼす事で、深刻な問題です。

地雷がどの戦闘部隊でも使用される様になり、

地雷撤去問題は、この十数年間でさらに拡大しました。

反乱軍にとって、地雷は少ない資金で、

大きな敵を倒す事が出来る武器であります。

大国の軍隊にとって、それは作戦の幅を広げ、

大規模な攻撃の際、兵士の代わりにもなる

貴重な武器なのです。

その結果、700種類以上もの地雷や機雷が、

地球上の多くの地域にばらまかれました。

この武器の最大の問題点は、戦闘が終わった

後も、その威力が失われなという所です。

これは、本当に脅威です

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地雷の進化

爆発による衝撃波が足元から膝の辺りまで

伝わって足の細胞組織が爆発し骨から、

引き剥がされてしまいます。

衝撃で皮膚も筋肉も内側から破壊されてしまうのです。

地雷で受けた傷を目の当りにすると言葉を失います。

それは、本当に酷いあり様です。

1975年以降地雷によって死傷した民間人は

50万人以上にのぼりその半数が子供です。

今も世界の70か国以上に数千万個の地雷が

埋められており貧困に苦しむ国々の、

3分の2が危険な生活を強いられています。

地雷の構造

地雷の構造は実に単純です。

多くの地雷に共通すしているのは、

圧力を感知して、火花を起こす震撼です。

火花は、少量の火薬に点火し地雷本体を

爆破させます。

震撼がある限り、地雷は爆発します。

地雷の起源

地雷の起源は13世紀の中国まで遡ります。

中国で火薬が発明されてから、わずか

100年後、地中から空に立ち上るいかずち

と呼ばれた世界初の地雷が登場します。

地面に立てた、旗や槍の根元に地雷を仕掛け

敵の騎兵隊を誘いそれらを引き抜くと点火し

爆発する仕組みになっていたのです。

ヨーロッパでも長い間この、新型兵器の

研究開発が続けられました。

しかし、実戦に役立つ地雷を次に発明

したのはアメリカの南北戦争で南軍の大将

だった、ガブルエル・レインズですた。

1964年のリッチモンの攻防戦では、

数千個の地雷により数百人が死傷しました。

すでに、対車両地雷もあり南軍の騎兵隊は、

これを鉄道にも仕掛け、その結果テネシーでは、

8両以上の車両を爆破したことが分かっています。

火薬1キログラムを詰めた当時の対車両地雷は、

現在の対車両戦車地雷の原型です。

また、レインズは兵士を標的にした小型の

対人地雷も戦闘に使いました。

南北戦争で地雷による初めての犠牲者が出たのは

1862年5月4日の事で、北軍の偵察兵が負傷し、

乗っていた馬は死にました。

初期の地雷には大砲の砲弾が使われ、圧力の変化

、または仕掛け線で爆発する仕組みでした。

圧力型は、人が地雷の上を通った時、仕掛け型は

ワイヤーに手足が触れた時に爆発します。

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地雷の進化

震撼には、茶色のガラスに入った揮発性化合物の

上に薄い銅製の蓋が乗っています。

その上を歩くと化合物が点火し点火装置から本体の

火薬に引火して爆発する仕組みでした。

当時の震撼は非常に感度が高く簡単に爆発しました。

レインズ自身が2本の指を失う事故にあった後、

点火に必要な圧力は3キロに変更されました。

南北戦争では約2万個の地雷が使われ

数百人がその犠牲になりました。

さらに50年後の第一次世界大戦では、

毒ガスやマシンガン、そして戦車です。

特に戦車は、地雷の進化をうながしました。

戦車と地雷は共に発展し1926年には、

アメリカでもその実験が行われています。

第二次世界大戦は地雷の発展期でもありました。

どの全戦にもおびただしい数の地雷が導入されます。

こうして、地雷は20世紀の戦争を体表する必要不可欠な

兵器へと変わっていったのです。

世界に先立って地雷の研究を進めていたドイツは、

3カ月ごとに新しい地雷を製造しました。

震撼や各部品を改良してより破壊力のあり、

より発見しにくいものを作って連合軍を苦しめたのです。

対人地雷は、対戦車地雷の撤去を妨害する目的で設置され

どちらも、最大の成果を上げられる様、地雷を設置する

間隔など緻密な計算が行われました。

最も最悪な地雷

対人地雷で最も衝撃だったのが、硫酸弾が仕込まれた

ドイツ製のSマインで、アメリカ兵の間では・・・

バウンシング・ベティと呼ばれていました。

この地雷は、1940年にフランス軍に対して初めて使われました。

仕掛け線に足が触れると足元で爆破せずに本体が

腰の高さまで飛び上がり、空中で爆発します。

すると350の硫酸弾を四方八方にまき散らしったのです。

この地雷は、半径25メートル以内の人間を殺害するのに

十分な威力を持っていました為、軍隊1つを破滅する事も可能でした。

最も多くの犠牲を被ったのは前戦で金属探知機を使って

地雷の撤去にあたっていた戦闘技術兵でした。

第二次大戦では、ドイツ軍が金属探知機では感知出来ない

シューマインという木で出来た地雷使っていた為、

犠牲者はさらに増しました。

地雷撤去車両

ドイツ軍の地雷原に対抗する為、連合軍では

地雷を撤去する装置の開発が進められました。

十分な装甲をほどこし前方にチェーンを取り付け

地面を叩きながら進む戦車や、ローラー付き戦車もありました。

小型の破壊筒と呼ばれる装置も使用されました。

進化する地雷

通称・・・クレイモア

仕掛け線か、遠隔操作でも爆破可でした。

クレイモアは、狙った方角に700個の鉄球を

発射し、射程距離は約50メートルでした。

冷戦時代にも、非常に性能の良い対人地雷

M14が登場しています。

直径4㎝たらずのM14は1つ数ドルで大量生産

されていた小型の対人地雷と共に仕掛けられした。

その威力は、つま先爆弾と言われる様に、大きくはありません。

それは、殺害ではなく負傷させる事を目的とした地雷だからです。

素材はプラスチックで撤去は非常に困難でした。

M14は卑劣な武器の代表格とも言えるでしょう。

ベトナム戦争では、大量の対人地雷が使用され、

その使用法も大きく変化しました。

この戦争は、ゲリラせんでした。

その為、無秩序に地雷原が広がっていったのです。

北ベトナム軍は、地雷を積極的に武器として使用してきました。

単に敵の進撃を遅らせ進行方向を転換させるだけでなく

攻撃を仕掛け敵の負傷者を増やす目的で地雷を利用したのです。

アメリカ海兵隊の死傷者の3分の1は地雷によるものです。

彼らは、アメリカ軍が落とした爆弾や砲弾などかき集め、

そしてそれらを分解し中に入っている爆薬を溶かして

液体にしたのち、それを金属の容器や木製の型に流しこんで

再利用する技術を持っていたのです。

その技術は、まさに天才的ともいう技術で

次々に地雷を作り出しました。

そして、その仕掛け方も誰も気づかない程実に巧妙でした。

それに対しアメリカ軍は空中散布型の地雷を製造します。

ブルー42・・・龍の牙と呼ばれるこの地雷は

非常に小さく素材は高質のプラスチックで

1分間に空から数千個を散布することが出来ました。

わずか13ミリのサイズながら揮発性物質によって

足先を吹き飛ばす程の爆発を起こしたのです。

まもなくソ連も散布型地雷PF1を開発します。

これは、地面に落ちていく様子からバタフライと

名づけられ、80年代のアフガニスタン戦線では、

これが数百万個使用された。

人道的な理由から、現代では使用が大きく制限された。

自爆型地雷

通称・・・ハスカム

ハスカムは散布後、一定時間が経過すると自爆する

機能を持っていた為、ゲリラ戦に適した地雷でした。

散布用の飛行機や、大砲、専用車がありました。

また17個の対戦車地雷と4個の対人地雷が入った

携帯型の装置は半径30m内に散布することが出来ました。

スマート地雷と呼ばれるこれらの自爆装置付きの地雷

には、デジタルタイマーが内蔵されており、

指定の時間が経過すると電気回路が繋がり自爆するのです。

人類の愚かさを、誰が気づいてこれらの争いがなくなるのか?

人類の発明のほとんどは、軍事に使われる。

愚かな人類は破滅への道を自ら進んでいるのだ。

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