【解明不可能】トリノ聖骸布の神秘と奇跡の謎に迫る!

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長さ4mあまり、今からおよそ4000年前イエスキリストの遺体を包んだ布と伝えられています。
この明暗を反転してみると、くっきりと浮かびあがった人物の姿。この人物は一体だれなのか!
これまで世界中の科学者が挑んでいますが未だに解明に至っていません。

トリノ聖骸布の神秘

紀元30年頃ゴルゴダの丘

イエスキリストは張り付けの刑となった。

やがて遺体は降ろされた・・・

埋葬にあたり遺体は布に包まれた。

この布、「聖骸布」が現代に伝わるという。

イタリア北西部の町、トリノ

2010年、聖ヨハネ大聖堂で聖骸布が10年ぶりに公開された。

ローマ教皇の前にあるのが聖骸布だ。

神秘的な聖骸布は、長さ4.41m幅1.13mの象牙色の布

左側には男性の前からの姿と、右側には後ろからの姿が浮かびあがっている。

明暗をさせる逆転するネガにすると、その姿は驚くほどくっきりとする。

身長180㎝のやせ型、手を体の前で交差している。その姿を詳しく見てみると新約聖書に記された、張り付けにされた時の様子にそっくりだという。

その頭には、傷と血の跡。聖書によるとイエスは、いばらの冠をかぶせられ血を流していたという。

そして背中には痛々しい無数の傷跡が・・・ローマ兵に打たれたムチの跡だろうか。

手首には、張り付けの際に釘を打たれた様な傷跡が残っている。

この釘が打たれた位置については聖書には記述がない。

一方、古来より数多く描かれた宗教画の多くではイエスは手のひらに釘を打たれている。

手のひらと、手首、この違いは何を意味するのか?

 

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聖骸布の神秘と奇跡

聖骸布を70年近くにわたり研究しているカトリック調布教会

イタリア人のガエタノ・コンプリ神父は、この釘の位置が聖骸布の信憑性を示しているという。

神父によると、手のひらに釘を打った場合体重の重みで手がさけてしまうという。

本来、十字架刑の経験のある人たちは、絶対に手首に釘を打つというのだ。

聖骸布は、聖書にも記されていない真実を、この姿の中に残しているというのか?。

聖骸布は、14世紀フランスで発見された。

その後、イタリア、トリノに移された。

一般公開では、大勢の信者を集め聖遺物として熱狂的に支持された。

研究者による聖骸布の仮説

やがて20世紀に入ると、研究者たちの間で聖骸布をめぐり激しい論争が幕を開ける。

一体、この聖骸布はどの様にして作られ人物像が記されたのか?

実際に、この布が遺体を包んだものと考える場合

1902年フランスの生物学者ポール・ヴィ二ョンが提唱した化学反応説

布には傷薬のアロエや腐敗防止油が塗られたいたと想定。

それが遺体から出るアンモニアと化学反応を起こし生成された物質が布に浸み込んでいく、その結果聖骸布によく似た像が出来るのだと主張したのだ。

しかし、これを批判する人は遺体に布が密着すれば人物像は展開図の様に歪んだものになると指摘。

実際の聖骸布は、顔を正面から見たようになっていて歪みはない!

一方、聖骸布が後世に作られたものだと主張する人々は絵の具や顔料を使い手で描かれた絵画であると主張した。

科学者による聖骸布の調査

様々な疑問に答えを出すべく、1978年トリノ大司教の許可を得て徹底的な科学調査が実施された。

世界33人の科学者がプロジェクトを結成。

X線や、紫外線などをあてたり表面の繊維や付着物について調査を行った。

その中でも、アメリカ・ロスアラモス国立研究所 科学者レイ・ロジャースの発表は驚くべきものだった。

人物像を表わす変色部分からは、絵画で使う絵の具や顔料は検出されなかった。

繊維の表面の細胞が、何らかの原因で破壊され変色していたのである。

変色部分の繊維1本を拡大し繊維のどれ程深い所まで色が変わっているのかを見てみると、色は繊維の中には及ばす変色は表面にとどまってたのだ。

その幅は最大で0.6マイクロメートル(1万分の6ミリ)である。

化学反応による薬品や油、絵の具が付着すれば聖骸布に比べ繊維のもっと深い部分にまで浸み込むはず。

つまり、化学反応説も、絵画説も否定されたのだ。

一体どうすればこの様な薄い表面だけの変色が出来るのか?

謎を科学的に解明しようとした結果!

聖骸布は更なる謎をつきつけてきたのである。

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歴史学者による聖骸布の仮説

イギリス・ロンドン

謎が深まる聖骸布について人物像の見え方の印象から大胆な仮説をだした人達がいる。

ジャーナリストのリン・ピクネットと、歴史学者のクライブ・プリンスは、1994年聖骸布は16世紀に作られた世界最古の写真なのではないかと発表した。

2人は、聖骸布が写真の様な特徴を持っていることに着目した。

調べによると、写真を実現するための技術は中世にすでに存在していたという。

像を映し出すレンズと装置、像を布に浮かび上がらせる薬品もあったというのだ。

2人の説をもとに日本で専門家の協力のもと実際に試してみた。

まず撮影機は、カメラ・オブスキュラと呼ばれるカメラの原点となる装置。

太陽光の変わりの紫外線ライトを石膏像に当てると、光は穴にはめ込まれたレンズを通過しレンズの反対側の布のキャンパスに像を映し出す。

問題は、その画像をどの様に布の上にに定着させるかだ!

リンとクライブは、中世にも存在した素材から光に反応する感光材を作ることができないかと想定したのだ。

卵白と、ニクロム酸アンモニウムで可能だという事が分かった。

感光材を布に塗り、像を反応させる事12時間。

感光材を洗い流しすと、うっすらとした石膏像の姿が浮かび上がった。

確かに、聖骸布の印象に似ている!

しかし、写真が発明されたのは定説では19世紀。

それより300年以上前に、この感光材の技術が存在したことを示す記録はない。

結果、科学者の多くはこの説に疑問を投げかけている。

その他の聖骸布の仮説

他にも、人体から閃光が出た閃光説。

コロナ放電説。

金属の人物像を熱して作る、焼け焦げ説。

などが提唱されたがいずれも聖骸布の再現には成功していない。

聖骸布の布の年代測定

1988年、聖骸布がいつの時代の物か明らかにする為、布が製造された年代を調べる世界的な科学調査が行われた。

イギリス大英博物館などが中心となり聖骸布の一部を切り取ったサンプルから放射性同位元素をもとにした年代測定を行った。

その結果・・・

聖骸布の布が製造されたのは1260年~1390年の間に作られたと判定。

つまり、人物像はそれ以降のものだったという事になる。

この発表に対し反発する学者たちは測定方法に疑問があると未だに決着を見ていない。

今も解明されていない人物像の由来

近代科学による聖骸布の再現

近年は最新技術を使った別のアプローチも試されている。

イタリアのENEAフラスカティ研究所

ここでは、レーザー光線を使い聖骸布の表面の変色を再現する実験を進めている。

10億分の数秒という短い時間、レーザーの衝撃を与える事で繊維の表面を変化させる。

この手法で聖骸布と同じレベルでの表面の変色0.2マイクロメートルの変色に成功!

しかし、画像の見た目は聖骸布とは程遠く人の全身像の様な大きいものまで描く事は不可能だという。

また、いくらレーザーを精密に調整しても繊維表面の変色が計算通りにいかず現在の段階に至るにも5年かかったという。

聖骸布はまさにミステリー

最新科学手も解き明かされず、誰も聖骸布の人物像の再現に成功した者はいない。

しかも、説明すら出来ていない。

これを中世に作り出す事は、まさに不可能なのである。

1928年、第264代ローマ教皇ヨハネ・ハウロ2世は聖骸布についてこう語っている。

「聖骸布は人間の知性への挑戦です。疑問への適切な答えを見つけるため科学者に調査研究を続けることを委ねます」

聖骸布が次に公開されるのは2025年

その時、果たして謎は解明されるのだろうか・・・?

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