【精神疾患治療】悪魔の手術ロボトミー事件の光と影の謎に迫る

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当時、不治の病と言われた精神疾患!

救いの神か?それとも・・・悪魔の手先か?

ウォルター・フリーマンは、3500人の脳を切ったアメリカの精神科医だ!

史上最悪の手術と言われた「ロボトミー」の謎に迫る

精神科医ウォルター・フリーマン

 

 

【精神疾患治療】脳を切る悪魔の手術ロボトミー

アメリカの首都ワシントンDC

その中心部にあるジョージワシントン大学病院で1936年に歴史的な手術が行われた!

患者の脳にメスを入れ精神疾患を治療しようとするアメリカで初めての手術である。

患者の病名は「激越型うつ病

激しい不安に襲われ取り乱す病。

暴力を振るったり、家具を壊すなど・・家族では到底支えきれない病である。

自殺の衝動に駆られる事もある!

麻酔をした後、手術が始まった!

患者の側頭部に穴をあけ長いメスを差し込む・・・

こうして脳の一部を切ったのである。

手術後・・・目を覚ました患者は別人の様になっていた。

患者はこの後すぐに退院した。

この手術の指揮をとったのが精神科医ウォルター・フリーマンである。

その後、数千人の脳を切ることになる・・・・

ウォルター・フリーマンは1895年フィアデルフィアに医者一族の長男として生まれた。

孤独を好む少年だったという・・・。

趣味は・・・カメラ

そのレンズはしばしば尊敬する祖父に向けられた。

祖父はウィリアム・キーン

世界で初めて脳腫瘍の手術に成功した有名な脳外科医だ!

第32代大統領フランリン・ルーズベルトの主治医も務めた。

フリーマンは、そんな祖父に憧れ医学の道を志した。

フリーマンは、名門エール大学を優秀な成績で卒後し医学校へ進んだ。

専門として選んだのは精神医学。

当時、精神疾患は原因も分からず治療法もなかった。

狭い部屋に押し込められ、暴れる者は拘束された。

一度入院すると退院するのは稀で「絶望の施設」と呼ばれていた。

つまり社会から隔離するのが目的だったのです。

行われていた数少ない治療も命の危険があるものだった。

 

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当時の「激越型うつ病」の治療法

頭部に高電圧の電流を流す「電気ショック療法」

激しい痙攣を引き起こすため、背骨を折る患者もいた!

インスリンを注射し続け強制的に低血糖状態にする「インスリンショック療法」

マラリアにわざと感染させ高熱状態にする「マラリア治療」

ウォルター・フリーマンの経歴

1924年フリーマンは28歳の若さでアメリカ最大の精神病院、セント・エリザベス病院で医院長に大抜擢される。

祖父の肝いりだった・・・。

期待に応えようとフリーマンは、治療法を探し続けた。

精神疾患は脳に何らかの異常があるに違いない。

そう信じたフリーマンは、精神疾患の患者の解剖に明け暮れる!

だが・・・脳に変わった所は見つけられなかった。

精神外科の始まり

1935年ロンドンで開かれた国際神経学会がフリーマンの人生を変える。

チンパンジーの脳の一部を切り取ると狂暴性が収まるという発表が行われ、

そこにある質問が投げかけられた!

その実験を応用すれば人間を救う事が出来るのではないか?

発言したのは、ポルトガルの神経科医エガス・モニス。

翌年、モニスは精神疾患を持つ患者20人の脳の一部を切ったと発表。

精神の病を外科手術で治療する「精神外科」の始まりである。

モニスが注目したのは欲望や運動、理性を司ると考えられていた前頭葉。

その前頭葉から視床へ伝達が過剰に行われると、不安や強迫観念が起き問題行動を起こすと考えた。

ならば・・・その回路を切ればよい。

モニスの論文によると、およそ7割の患者が治ったか改善に向かったと報告されていた。

フリーマンはこの結果にいち早く飛びついた!

フリーマンの自伝より

「ここには具体的な何かがある。将来の見通しが開けてきた」

モニスの論文は、その扉を開けるカギになると思ったのです。

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悪魔の手術ロボトミーが始まった

ヨーロッパから道具を取り寄せ1936年9月には手術を始めた!

4か月間で6人の重篤な患者に脳の手術を行ったのだ。

その6人のうち3人が退院。

治る見込みのなかった患者が「社会復帰」を果たしたのだ。

フリーマンがこの手術に付けた名前は・・・「ロボトミー

前頭葉(LOBO)切る(TOMY)と言うラテン語が由来である。

フリーマンは、マスメディアを積極的に利用した。

新聞記者を集めて手術の様子を取材させると・・

「なす術のなかった苦しみから解放し、心の平和を取り戻す、医学界においてここ数十年の一番の革新」称賛の文字が並んだ!

いちやく時の人となったフリーマン、そのもとに次々と患者が訪れる様になる。

そこに有名人もやって来た。

後に第35代アメリカ大統領となるジョン・F・ケネディの妹ローズ・マリー

家族から知的障害を心配された彼女は、ロボトミーを受けさせられたのだ。

フリーマンの元には退院した患者や家族からの手紙やクリスマスカードが届いた。

「最高の調子です!ありがとう」

”あなたは社会に大きな貢献をしてくださいました”感謝の言葉が次々とつづられていた。

1945年第2次世界大戦が終結すると、病院は戦いで精神を病んだ兵士達で溢れた!

フリーマンは「ロボトミー」普及のチャンスととらえた。

1946年フリーマンは改良型ロボトミーを考案する

それは、どこでも手に入るアイスピックを使うと言うものだった。

悪魔の手術の始まり

フリーマンが作成した改良型ロボトミーのフイルムがある。

”このロボトミーにはほとんど準備が必要ない!麻酔も無くした、代わりに扱うのは精神科医が使い慣れた電気ショック!

昏睡状態にして手術を行う。そして目の裏側にある頭蓋骨の一番薄い部分に向けアイスピックを差し込む

そこから脳に分け入り神経組織をかき切るのだ”

10分足らずの簡単な手術だった!

この新しいロボトミーに患者で溢れかえっていた公立病院が飛びついた!

精神科医1人で出来る簡単なロボトミーは魅力的な治療法だった。

フリーマンはロボトミー普及の旅に出る。

全米各地の病院でデモンストレーションを行う為だ!

”ロボトモビル”と名付けた車で自らハンドルを握った。

病院では、自分の技術を惜しみなく公開!

1日に25人のロボトミーを行った事もある。

23の州で55の病院を訪れロボトミーとフリーマンの名は全米各地に広まっていった。

1949年この年は、フリーマンとロボトミーとって輝ける年となった。

ロボトミー誕生のきっかけとなったエガス・モニスがノーベル生理学医学賞を受賞したのだ。

ロボトミーは、爆発的に世界中に広がつた。

日本でも、日本医科大学の広瀬貞雄教授を中心に精神疾患の治療として積極的に取り入れられた。

しかし・・・フリーマンとロボトミーに暗雲漂い始める。

手術による重篤な副作用が問題になり始めたのだ!

ジョージア州に住アナ・ルースは偏頭痛に悩まされロボトミー手術を受けた。

学生時代は成績も良く記憶力に優れ数学も得意だった。

だが病院から帰ってきたアナ・ルースは変わり果てた姿になっていた。

トイレも自分では行けなくなり、感情のコントロールも出来ない状態になってしまった。

もちろん育児も出来ず、その後離婚。

その後、実家で介護を受けながら53歳で亡くなった。

頭痛と引き換えに人生を失った・・・!

そして、ローズ・マリーケネディも重い副作用に苦しみ養護施設に入った。

死ぬまでの60年余りを施設でひっそりと過ごしたという。

1954年「抗精神病薬」クロルプロマジンがアメリカで認可される。

ロボトミー同量の効果が得られると、年間200万人が服用するまでに広まった。

一方フリーマンは、ロボトミー手術の対象を広げていく。

フリーマンは当時、ロボトミーは重篤な患者絵の最後の手段としていましたが、

初期段階の治療にも有効的だと言い始めたのです。

ロボトミーの効果ばかりをうたいもはや科学者ではなく伝道師の様でした。

フリーマンは、年端のいかない子供にまでもロボトミーを行った。

12歳のハワード・ダリー(12歳)少年は、父親の再婚相手と折り合いが悪く暴力的な振る舞いをすると、

フリーマンの元へ連れてこられた、彼女の言い分のみで「総合失調症」と診断され。

ハワード少年は、ロボトミーを受ける事になった。

彼は、病気だったわけではなくただの思春期の少年でした。

ハワード少年はおとなしくなった。

フリーマンがハワード少年を連れて成果を発表するとごうごうたる非難が沸き起こった!

「まだ子供じゃないか!」「恥を知れ!」「医者失格だ1」など

フリーマンは、逆上した。

ハワードは、手術後養護施設を転々としホームレスとなった、。

その後バスの運転手になる。

そして、フリーマンが全米に広めた結果ロボトミーは暴走を始める。

反社会的な人物や、犯罪者、更には同性愛者にまでロボトミーが施されたのだ。

1962年に発表された小説「カッコーの巣の上で」で告発された。

精神病院で既存のルールに反抗した男がロボトミーを受けさせられる物語だ。

この小説はの後に映画化されアカデミー賞の主要5部門を独占

「人間性を踏みにじるロボトミーは失格だ

ロボトミーの恐ろしさが世界中に知れ渡った!

未知なる宇宙・・・脳

分からないからこそ、その存在に魅了され

時に過ちを犯す者もあらわれる。

ロボトミーは歴史が生んだ闇の世界だったのかもしれない!

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