捜索ファイル!ヒトラーを追跡の謎に迫る!

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このほどドイツのラジオ局は、ヒトラーが死亡したと報じました。

「繰り返します。ヒトラーは死にました!」

1947年5月8日付けFBIフーバー長官宛の報告書によるとドイツに居たアメリカ陸軍はヒトラーの遺体を発見していなかった。更にヒトラーが死んだことを証明する確かな証人は1人も見つかっていない。

これらの文章を確認すると、当時FBIが必死にヒトラーを探していた事が良くわかる。

 

ヒトラーを追跡せよ

2014年アメリカ大統領令により700ページに及ぶFBI極秘文書が機密解除となった。

内容は死亡されたとされた時期以降の、ヒトラーの潜伏場所を示したものだった。

この文書はFBIの調査内容を明らかにしたものです。

元CIA局員のボブ・ベイアーは世界有数の実力を持つ言われるベテランの諜報員だ。

CIAの最高レベルの難事件を担当した、その1つがサダム・フセインの追跡だった。

CIAのビルに入ると「真実は何次を自由にする」という標語が見えます。

ボスからあれを信じているのはお前だけだと良く言われました。

政府の説明は大抵の場合嘘です。

政府は市民を脅かす様な真実は教えません。

もし、そんな事をすれば不安に駆られた市民達に退陣させられる事になるからです。

俗に言われるヒトラーの最後の状況を裏付ける物は何もありません

20世紀最大のミステリーです。

1945年4月30日ベルリンがソ連軍に包囲された後、ヒトラーは総統官邸地下壕で自殺したとされている。

5月2日ソ連軍が地下豪に突入し自殺現場で発見したヒトラーの遺体とされるものをモスクワに送った。

ソ連軍は、その際略奪行為を働いて現場をすっかり踏み荒らしました。

重要参考人もいないし科学捜査もしていません。

7月17日ポツダム会談の席でソ連のスターリンは、連合国の首脳達にヒトラーは逃亡したと語ったと伝えられている。

会談に出席した首脳達は、いずれも言動に対して慎重な人物でした。

2009年アメリカの研究チームが、ヒトラーの亡骸とされるものの一部を入手しDNA鑑定を行った結果DNAは

女性である事が判明した。

現在の鑑定結果からヒトラーは逃亡していたと考えられます。

金さえあれば犯罪者が行方をくらます事は可能です。

誰もが戦争の終結を願っていた大戦末期、ヒトラーの死の真実を探りたい人などいませんでした。

2014年ヒトラーの死に関するFBI文書が機密解除になると、この1件が史上最大の隠ぺい工作である可能性が浮上する。

この文書には、膨大な量の手掛かりが記されていました。

知られていない事実が報告されていた形跡が次々見つかったのです。

メイアは700ページに及ぶこの文書を入手、最先端技術の装備を整えると世界最高の実力を持つ専門家にによる

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捜査チームを結成した。

国際調査委員、ナチハンター、法医学者、調査ジャーナリスト、軍の捜査官そして戦争犯罪捜査の第一人者

ジョン・センシッチ博士。

ジョン・センシッチ博士は、国連からの使命で最重要凶悪犯罪を担当していました。

中には史上最悪の犯罪者もいました。

「真実を明るみに出して客観的な対象物にすることが私の仕事です。」

前もって結論を出すつもりはない。

ヒトラーが地下豪で死んだという証拠を見つけたとしても、それはそれで満足できる。

ヒトラーの死について信頼のおける確かな調査を行い完全に決着をつけたいのだ。

浮かびあがった亡命説

機密解除された700ページのFBI文書には大量の新たな手掛かりがあった。

ベイアーはある軍事用ソフトを使い調査の開始地点を決める事にした。

このソフトで文書中の場所に関する情報を解析し活動パターンを地図上に表示できる。

テロリスト追跡調査の経験から言えば主な異動は最初の100日間に行われます。

だから逃亡中の犯罪者の目撃情報はこの期間に集中するはずです。

解析の結果、調査の開始地点はアルゼンチンで決まりだ!

ただし、アルゼンチンは広大だ!

場所を限定する必要がある。

ベイアー達は膨大な量のFBI文書の中からヒトラーの居場所に関する情報を解析した。

「私が一番興味をひかれたのはフバー長官への手紙だ」

巨大な地下施設で暮らしていると書かれている。

別の文章にも同じ事が書かれている。

情報源は別だ!

日付けは1945年8月11日

ヒトラーはアルゼンチンにナチス兵数百人と共に巨大な地下施設に潜伏!

フロリアノポリスから西に1090キロ、ブエノスアイレス北北西720キロ。

FBI文書で見つかった2つの位置情報をコンピューターで相互参照し交差地点を特定。

それはアルゼンチンのある辺境地にあった。

この近くの一番近くの街はチャラタだ。

使われている言語は、英語、スペイン語、そしてドイツ語。

調査の第一段階はFBI文章の信憑性の確認です。

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目的地はアルゼンチンチャラタ

ベイアーは調査の第一段階としてトップクラスの専門家をアルゼンチンに集結させた。

ティム・ケネディはアメリカ陸軍特殊部隊の隊員です。

最重要犯罪者を追跡する専門家として豊富なキャリアを持ちイラクやアフガニスタンで任務に就いてきました。

ビンラデンなど最犯罪者の追跡を15年間担当してきました。

ティムは、この分野ではトップの実力です。

「最先端テクノロジーを駆使して70年前に起きた事件を、新たな視点から見直し徹底的に解明していくつもりです。」

ジェラルド・ウィリアムズは、大手メディアから高く評価されている調査ジャーナリストです。

南米で10年間、ナチス残党の調査に携わりました。

確かな根拠に基いて証拠を正しく選び出すには彼の能力が必要です。

「ヒトラーが潜水艦に乗ってアルゼンチンへ逃亡したという説について調べた結果、歴史的に事実とされてる事柄には多くの誤りがあるという事に気が付きました。

私の父は軍人で6年間ナチスと戦い3回負傷しました。父の世代の人たちに真実を伝えるべきです」

最後に紹介するのは、ナチハンターのスティーブン・ランバムです。

辺境地のコミニティに潜んでいたナチス戦犯を世界各地で170人以上見つけ出しています。

「戦争犯罪者を探す為、500回近く過酷な環境の辺境地に行きました。

戦犯は私を恐れていますが、私に恐れるものはありません。」

チームはチャラタに到着するとヒトラーの新組織に入っていた可能性のある地元住民を探し始めた。

ヒトラーは、地下室や農場などに隠れていた可能性があります。

重要なのはヒトラーの移動を手助けしていた人物を見つけ出し事です。

ビンラディンの捕獲作戦でも役立った方法です。

情報提供者や書簡運搬係を追跡して情報の収集や伝達の方法を調べました。

捜査チームはチャラタで最高齢のドイツ系移住民を見つけ出した。

70年前、この町におけるナチスの活動を目撃していた可能性がある。

70年目の出来事について質問したときに相手がこれ程の不安感や恐怖感を示し口を閉ざしてしまうとは思いもしませんでした。

この地域に、ナチスの支持者がいたことは確かです。

学校にはナチスが関係していました。

この地域でならナチスの巨大な地下施設を建設することが可能だったのではないでしょうか。

当時は、まともな科学捜査が行われませんでしたが、現在の鑑定結果からヒトラーが逃亡したことが分かっています

ヒトラーが、アルゼンチンの辺境地にある地下施設で暮らしていたとの情報が2つのFBI文書から見つかった。

自殺したとされる日から3か月半後の時期である。

捜査チームは現地でFBI文書が示唆する地点の付近にあるドイツ人学校が存在している事を突き止めた。

鉄条網の柵、高さ2m半の壁、人を入れたくないのか、出したくないのか、この建物は特殊な方法で特殊な場所に特殊な目的で建てられています。

この学校の建築方式が軍事基地にとても良く似ている事に人目見てわかりました。

学校で14歳から18歳の少年がナチス兵になる訓練を受けていた。

少年達は総統に絶対的な忠誠を誓ったのち戦場に送り出されていった。

ヒトラー青年団には52か国から800万人以上の少年が参加していたとされる。

チャラタにもその地方支部があった。

少年たちを幼いころから洗脳し続けてナチス隊員になるのは素晴らしい事だと思い込ませていました。

過激派組織ISも同様の洗脳活動を行っています。

ヒトラーの滞在は名誉な事だったので住民たちは必死で彼を保護したでしょう。

コミュニティの住民達は命を懸けて総統に忠誠を誓いました。

次に話を聞くのはファン・アルベルトこの町のドイツ人コミュニティについて永年調査している研究者である。

彼の本には当時、チャラタで勢力を伸ばしていたナチスについて書かれていた。

話によると、各ドイツ人コミュニティと大使館は密接に連絡を取り合っていた。

ドイツ第三帝国の絶頂期アルゼンチンには6万人近くのナチ党員が居て南米中のコミュニティ間と連絡をあった。

これらのコミュニティの一部は、将来ナチスがアメリカを進攻する際には活動拠点となるはずだった。

こうしたコミニティ間のネットワークを利用すればヒトラーを簡単に逃亡させる事が出来たはずです。

ビンラディンも同じ手口でした。

捜査チームは、この地域にあるとされる地下施設とこの学校を結びつける手がかりを探し始めた。

ファン・アルベルトの話では「1970年に地下施設が発見されました。ここから離れた農場です。

発見したのはドイツ系の所有者で武器や国旗や文書があったそうです。」

FBI文書にはこの近くに地下施設があると、そしてアルベルトがそれと同じ事を言ったのです。

調査委員「その農場までの行き方を教えてくれませんか?」

ファン・アルベルト「ダメです!」

75年たった今も町の住民は怯えていてドイツ人についての情報を明かそうとしません。

歴史研究者のアルベルトはじっかりとした考えを持っていて周囲の言いなりになるような人物ではありません。

そんな彼でさえも、私たちを外に連れ出しごく小さな声で農場の所有者の名前と位置を教えるのがやっとでした。

家の中に入ったケネディとランバムはランバムは謎めいた地下室へ降りてみる事になった。

地下は人の手でしっかり作り上げたものでした。

壁はレンガとセメントで出来ていて天井には巨大で頑丈なハリがありタイルが貼られていました。

地下貯蔵室は140年代以降、南米で普及。

だが、この地下室は一般の地下室とは異なっていた。

壁は、コンクリートで補強され換気システムも備わっている。通気口が2つあって一方から新鮮な空気を取り込み、もう一方から汚れた空気を排出する。

地下室内の人間が数か月間呼吸することが出来る構造だった。

FBI文書には巨大な地下施設と書かれています。

ナチス高官数百人が参加する集会の会場に使われたそうです。

この地下室は狭すぎます。文書で書かれた地下室とは違うようです。

ヒトラーがアルゼンチンに逃亡したというFBI文書の情報に基づき捜査チームはヒトラーが潜伏していたとみられる地下施設の場所を突き止めた。

ケネディは、広大な土地を地中探査レーダーで調べた結果を作戦対策室のベイアー達に送信する。

この調査を次の段階へ進めるには、別の手がかりを調べるべきです。

チャラタに居たヒトラーが、数か月後に別場所へ移動した可能性がある。

1つの場所に留まり続けるのは危険だ。結局いつかは居場所の情報が洩れるからだ。

ビンラディンがそうだった。アボタバードに永く居過ぎたのが原因だ。

ミシオネス州でナチスに関係があると思われる居住地が発見された。

密林地帯にあるこの家は、ナチ残党の隠れ家だった可能性が指摘されています。

ヒトラーもここにいた可能性があります。

調査は佳境に入りました。

新事実が判明するかもしれません。

ヒトラーが逃亡した事実はありますが、真実を解明するに年月が経ちすぎてしまった。

未だ政府は何かを隠しているのか真実は闇の中である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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