奈良の大仏の謎と失われた黄金都市の真実!

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世界遺産 奈良 東大寺。

1200年以上前から人々の心に支えになって来た奈良の大仏。

完成した当初は全身が眩い金で覆われていたと言います。

大仏の全身に施された金メッキは、アマルガムという技術である。

奈良の大仏の技術アマルガム

金と水銀を混ぜたものを大仏の表面に塗り乾燥させた後、

熱して水銀を蒸発させて金だけを残す技術。

金箔を貼り付ける方法に比べ均一で非常に美しく仕上げる事が出来る。

こうして、金メッキが施されていた部分は、1200年以上経った今でも錆が進行していない。

この、アマルガムによる防錆効果は近年ようやく科学的に解明されたものだという。

現代の専門家をも驚かせた大仏の金メッキ技術。

およそ440キロの金が使われたと言いますが、この金は意外な場所から発見されていました。

この当時、金は東北でしか採れなかった。

749年、金が国内で初めて採れたのは宮城県涌谷町。

採掘された場所は現在、黄金山神社となっており、国の史跡に指定されている。

東北の金なくしては決して完成することが無かった奈良の大仏。

大仏造立に金で貢献した東北。

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黄金文化に大仏造立の謎

岩手県平泉 奈良の大仏造立から300年以上後の11世紀末から12世紀にかけて奥州藤原氏が築いた、

浄土思想を基調とする文化的な景観が2011年、東北地方初の世界文化遺産に登録された。

奥州藤原氏 東北地方一帯に勢力を張った豪族。

東北の金をもとにして平泉に独自の文化を開いた。

12世紀初め、初代藤原清衡によって大規模な造園が行われた中尊寺。

黄金に彩られた金色堂は、中尊寺の一角にある。

平泉黄金文化の象徴とも言えるのが、この中尊寺金色堂。

その名の通り建物の殆どが金で覆いつくされています。

しかし何故、金色堂はそれほどまでに機や美やかな金で埋め尽くされているのでしょうか?

覆堂の中に金色堂がある。

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1124年に完成した中尊寺金色堂

扉から天井、床までも金箔で覆われている。

このお堂の全てを覆いつくす為に、使用された金箔はおよそ6万4000枚。

しかも、厚みが現在の金箔の3倍もあるのである。

この大量の金は何処の物なのか?

(8世紀)日本で採れる金のほとんどは奥州の金なのである

なんと、金色堂は奈良の大仏と同じ産地の金が使われていたのだ。

金色堂が金箔で覆われているのは、全てが金色に光輝く仏の住む世界を表現しているからである

そして、金色堂の本尊が鎮座する須弥壇には非常に細かな工芸美術の極致とも呼ばれる装飾が施されている。

その1つが須弥壇の下に見られる孔雀。

またその柱は、都には存在しなかった最高の技術が注ぎ込まれている。

そして黄金の装飾を更に引き立てているのが金色堂に施された螺鈿細工。

螺鈿細工(光沢を持った貝殻の内側部分を切り出し漆器などに張り付ける技法)

螺鈿は、非常に手間と時間がかかる為、建築物に使われる事はほぼ無いという。

金色堂の螺鈿の数は2万7千か所で、夜光貝が数千個以上もこの金色堂に使われている。

なんと、東北の北上川流域には高度な文化が存在していた!

奈良時代より遥か前、縄文時代から東北には高い技術があったのだ!

その1つが漆。

3500年も前から東北では漆で精緻な器を作っていた。

東北には奈良の大仏が出来る60年も前に大仏と同じアマルガムによる金メッキがありました。

これは一体何を意味するのでしょう?

東北は、都を超えた文明技術を持っていた超先進国家だったのではないでしょうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

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