即身仏!生きながらミイラになる苦行の謎に迫る!

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北日本の奥深い山の中に、即身仏と呼ばれるミイラが祀られています。

数百年前に死亡した、行者たち。つまり仏教の僧侶のミイラです。

腐敗を防ぐために体からは一切の脂肪分と体液が取り除かれています。

即身仏となった行者たちは、人間の我慢の限界に挑んだ人々でした。

その秘められた修行のプロセスが今、科学的に解明されようとしています。

この行者たちは、なんと生きている間から、その身をミイラへと近づけていったのです。

ここでは、いにしえの宗教が時の浸食を受けることなく受け継がれています。

即身仏の調査・研究

1961年 まつもと あきら教授と東京大学の研究チームが山形に出向き即身仏に関する科学的調査を行ったのです。

最初は、多くの住職の方々はミイラは大事なものだから、それにレントゲンをあてる、裸にするなどとんでもない!と拒否されたという。

松本教授らは、最新の注意を払って即身仏を取り扱うことを誓い調査を開始しました。

即身仏の中には、皮膚に上薬をかけたものもありました。

しかし、薬が塗られたのは調査が行われた数年前で、遺体がミイラ化してから長い時間を経た後のことでした。

調査を進めるうちに、驚くべき事実が明らかになった。

これらのミイラには、内臓がそのまま残っていたのです

普通、人の体をミイラにするには内臓を取り除くことが原則となります

しかし、この行者たちの体は死後の防腐処理をせずにミイラ化していました

なぜ、そのようなことが出来たのでしょう?

彼らの体は、なぜ死後も腐らなかったのでしょう?

即身仏となった行者の体は、死後内臓を摘出することなくミイラ化していました。

内臓を残しながら、なぜ腐敗が進まなかったのか?

その謎を解く手がかりが、ある僧の修行の記録から見つかりました。

1829年に死亡した鉄門海上人です。

今日、鉄門海のミイラは高い位の僧がまとう鮮やかな衣を身に着けていました。

彼は、悟りを開き仏となったからです。

しかし、鉄門海には暗い過去がありました。

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鉄門海の暗い過去

中レンジには、鉄門海の一生を描いた絵が飾られています。

鉄門海はもともと、農民の出でした。

ある日、彼が農作業をしているところに酒に酔った2人の侍が通りかかりました。

この時代は、侍がささいな理由で農民を切り付けることが珍しくありませんでした。

鉄門海は持っていた草刈り用の鎌で必死に応戦しました。

侍を殺してしまった鉄門海は窮地に立たされました。

侍の仲間が、仕返しをしに追いかけてくることは間違いありません。

鉄門海は、近くの山へと逃げ込みました。

この地方の山々は、古くから聖域とされてきました。

鉄門海が辿り着いたのは、湯殿山に通じる寺の1つ注連寺でした。

注連寺(ちゅうれんじ)は、山形県鶴岡市大網にある真言宗智山派(新義真言宗系)の寺院。

仏教の教えでは、人間は輪廻転生を繰り返すことによって精神的により高い次元に達することが出来るとされています。

人は、悟りを開くまで何千回も生と死のサイクルを繰り返すことになるのです。

しかし、鉄門海が門を叩いた注連寺は、仏教の中でも即身成仏を信仰する真言宗に属していました。

真言宗では、人が輪廻転生を繰り返すのを待たず、苦行により仏に近づく道を探ります。

人間の体を極限状態に追い詰めることによって悟りを開き、生きたまま仏になることを目指すのです。

身体に苦痛を課すことが、なぜ精神の悟りに繋がるのか?

西洋的な価値観では理解しにくいことです。

悟りとは、頭で考えることではなく、もっと肉体的なプロセスです。

頭で考えるだけでは不十分で肉体を通して実感する要素もあるのです。

心も体も、どちらも重要で2つを切り離すことはできません。

鉄門海は、侍の追跡から身を守るために注連寺の修行僧となりました。

キリスト教の世界における教会と同じように、仏教の世界では寺は聖域だったのです。

人をあやめ、罪の意識に苛まされた鉄門海は自らに苦行を課すことによって精神の浄化を求めました。

鉄門海は、1日に3度も山の頂上まで登り、冬には冷たい川の水で身を清めました

真言宗では、こうした苦行が仏に近づく道だとされています。

しかし、この教えを誰よりも忠実に実践した鉄門海は、想像を絶する苦痛を自らの身に加えました。

この修行の場所は女人禁制のため、自分に付きまとう女を遠ざけるため鉄門海は彼女の手を引き寺の裏手に回りました。

そして、刀と取り出すと・・・なんと睾丸を切り落としたのです!

まだ温かい肉片をその場で女に渡し、二度と来ることがない様命じたといいます。

20年の修行の後に、鉄門海は全ての雑念を払い無我の境地に達しました。

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鉄門海の過酷な修行

そして49歳の時、人類史上まれにみる過酷な修行を開始したのです。

究極の悟りを開くため、彼は生きながらミイラになる準備を整えていきました。

この修行の最後に、鉄門海は生きたまま地下の墓へと入っていきました。

食料も、水も持たず。

自分が生きていることを知らせるための鈴だけを持って墓に籠ったのです。

墓の中で鉄門海は、読経を続けました。

そして1日に1度、鈴を鳴らし自分が生きていることを伝えたのです。

この自殺ともいえる修行は、当時の真言宗の僧侶たちにとって悟りを開くための最後の手段でした。

鉄門海は、釈迦の再来を信じていました。

いつの日か、釈迦の銘を受けた弥勒菩薩が降臨し全ての人々をげだつさせるために。

悟りを開いた僧たちを蘇らせると信じていたのです。

鉄門海が、墓に籠って14日目・・・

ついに鈴の音が途絶えました・・・

鈴の音が途絶えると墓の空気穴は閉ざされて、そのまま千日間放置されました。

そして千日後に墓を掘り返すと、そこには座禅を組んだまま息絶えた鉄門海の遺体がありました。

 

その体は、全く腐乱していませんでした。

鉄門海は、その身を永遠にこの世にとどめる事に成功したのです。

しかし、湿度の高い日本では人間を生き埋めにしただけで、ミイラができるわけではありません。

この僧たちは、体を保存するために一体何をしたのでしょう?

実は、彼らはある人物の教えに従ってこの修行を実行しました。

その人物こそが、わが身をミイラへ近づけるという壮絶な苦行をあみだしたのです。

その人物とは・・・空海です。

この修行に挑む行者は、森で見つかる木の実や種だけを口にします。

修行の第一段階は、この五穀を食べる食生活を1000日間続けることです。

その間、毎日山を走り体力を消耗させます。

およそ3年間、こうした生活を続けた後、修行は次の段階に入ります。

第二段階で行者の主食となるのは、木の樹皮や根です。

この行は、木食行と呼ばれています。

行者は、外での運動をやめひたすら経文を唱えて瞑想を行います。

体を飢えさせることで、精神力を高めるのです。

この自らを罰するかの様な、木食行が生きながらミイラに近づくためは必要不可欠な修行なのです。

五穀を断ち、木の葉や、樹皮を食べながら行者はおよそ6年間命をつなぎます。

墓に入る前に、行者の体は生きる屍に化してしました。

この体重の減少は、ミイラに近づこうとする人間の体にどんな影響をもたらしたのでしょうか?

飢餓が、人体に与える影響を初めて科学的に調査したのは、アメリカの研究者たちでした。

第二次世界大戦中、ミネソタ大学の研究チームが兵役拒否者を対象にある実験を行ったのです。

それは、実験の参加者の体重を6か月間で25%減らすというものでした。

ミネソタ大学が実施した、半飢餓状態の実験は、人間の体がどのように変化するのかをしる実験でした。

しかし、しばらくして被験者の体に急激な変化が起こりました。

減った体重のうち、25%~30%は筋肉や内臓が痩せた分でした。

体が自らの細胞組織を食い尽くしていくのです。

即身仏になる修行で重要なことは、穀物を絶ったという点です。

でんぷん質や、炭水化物の摂取を減らせば脂肪は減っていきます。

脂肪には水分が多く含まれているため、脂肪を減らせば体が乾燥して死後保存しやすくなります。

だからこそ、行者たちは長期間体を飢えさせたのです。

空海のあみだした苦行は、単に宗教性を追い求めた儀式ではなく科学的な理論に基づいたプログラムだったのです。

 

現在では、即身仏になることはできません。

法律があるからです。

墓に入ることは自殺行為になりますが、穴を埋めた人は殺人補助罪に問われるからです。

 

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