モアイは墓碑!?モアイは歩いた!?モアイ像に隠された謎に迫る!

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モアイという言葉の語源と意味は諸説あって特定にされていないが、それら以上の最大の謎は建造目的だった。

だが近年の調査で台座から人骨が多数発見されたことで、「モアイは墓碑であった」という説が有力である。

南太平洋上の絶海の孤島、先住民言葉でラパ・ヌイ(輝ける偉大な島)と呼ばれるイースター島。

10世紀から600年間も作られ続け、その数は900体にも及びます。

 

「モアイは墓碑であった」!?謎

モアイという言葉の語源と意味は諸説あって特定にされていないが、それら以上の最大の謎は建造目的だった。

だが近年の調査で台座から人骨が多数発見されたことで、「モアイは墓碑であった」という説が有力になりつつある。

モアイ、はチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻。

南太平洋上の絶海の孤島イースター島は、先住民言葉でラパ・ヌイ(輝ける偉大な島)と呼ばれる。

部族の守り神だったと言われるモアイ。

ほとんどのモアイは、海に背を向け集落を守りように建てられました。

モアイの前で、長い年月人々の平和な暮らしが営まれたのです。

良く見るとモアイには繊細なもあれば、へそもあります。

背後にまわると入れ墨や腰のふんどしがあります。

当時を知る手がかりを与えてくれます。

噴火口の外輪山ラノ・ララク

モアイのほとんどはここで作られました。

金属の道具も機械もない島で、気の遠くなるような作業に打ち込んだ人々。

人々は、やわらかく加工が容易な凝灰岩からモアイを次々に削りだしていったのです。

しかし16世紀の終わり頃、突然作業は中断されます。

350体もの作りかけのモアイが放置されラノ・ララクから人の姿が消えたのです。

突然中止された作業のお陰でモアイの制作過程が分かります。

まず、顔や胴体を掘り出し最後に背中に残した支の部分を切り離す。

一体のモアイは、膨大な時間と人手を費やし石器でコツコツと削られたのです。

背中を切り離されたモアイは、一旦斜面の下に運ばれ仕上げを施されます。

仕上げが終わったモアイは、ここから遠い物では10数キロも離れたアフへと運ばれて行きました。

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モアイは自分で歩いた!?謎

何十トンものモアイを、どうやって運んだのか?

木のソリを使うなどいくつもの仮説が立てられましたが本当のところは誰にも分かりません。

だが、最近の研究では立った状態で縄で目的地まで運搬されたという方法が有力視されている。

この方法では横倒しにして運搬するよりも人数が少なくてもすむ上、効率も良い。

モアイは自分で歩いたという伝説の根拠にもなっている。

プカオ

時代と共に巨大化したモアイはやがて、プカオと呼ばれる赤い巨石を頭に乗せる様になります

赤い岩滓で円柱状に作られている。材料となる赤い岩滓

一説では、ポリネシア人の髷を象徴すると言われるプカオはモアイとは別の場所「ブナ・パウ」場所で切り出され、やはりアフまで運ばれました

モアイの目

アフに建てられたモアイには、最後の仕上げに目がはめ込まれました。

サンゴと赤い火山岩で作られたモアイの目。

目を入れる事でモアイは霊力を宿し部族の守り神となるのです。

より多くな力を得たい。

やがて人々はモアイの大きさを競い合う様になりました。

その結果、初期には2m程度だった石像は5mを超え、更に巨大化の道を進みます。

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エル・ヒガンテ=巨人

巨人と呼ばれるラパヌイ最大のモアイ。

完成すれば、20m、総重量90t。

どうやって運ぶつもりだったのか?

ヨーロッパ人が描いたイースター島の想像図

18世紀初頭に上陸した、オランダ艦隊の記録にはアフに建つモアイを崇める島民の様子が述べられていました。

しかし、そのわずか50年後イギリスの探検家キャプテンクックが上陸するとモアイのほとんどが倒されていました。

一体島に何が起こったのか?

島全体を巻き込んだ部族間の争いの中で、守り神であるモアイを倒す。

霊力を封じる為、破壊されたうえにラパヌイの青空が写る事はもはやありませんでした。

小さな島で、人々は競って文明を発展させました。

人工が増え燃料や道具を作る為、大量の木が切られ森が消えていきます。

モアイの運搬にも、たくさんの木が使われたと考えられています。

こうした人間による島の生態系の破壊が、やがて食料危機を招き島中に戦争を引き起こしたと言われています

モアイ進行は、その後二度と復活しませんでした。

変わって鳥人の儀礼が島で最大の宗教行事となりました。

岬の向かいの小島で見つけられたその年最初の海鳥の卵。

その卵を手に入れた部族の長は、鳥人と呼ばれ特別な地位と尊敬を得たのです。

鳥の神、人々は別世界への脱出を願ったのかもしれません。

ロンゴロンゴ板

ロンゴロンゴという不思議な文字が刻まれた板。

今残っているのは、たった20数枚。

1862年ペルー艦隊によりほとんどの島民が誘拐され、強制労働で死亡しました。

ロンゴロンゴを読める人間は、1人も戻って来ませんでした。

わずかに口伝へに歌いつがれてきた、あやとり歌。

カイカイがラパヌイの古の言葉を伝えます。

打ち捨てられたモアイは、風化が進み次第に土にかえりつつあります。

最近の調査によれば、かつてラパヌイはヤシの木が生い茂る豊かな島でした。

しかし、文明の繁栄が自然破壊を招き森は消え滅びの道を歩んだのです。

 

 

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