【特攻隊英霊に捧げる】あなた達の死は無駄ではなかった日本は今平和です!

スポンサーリンク




自分が逝けば何千倍もの人が救われる・・・

そう信じてとびたった特攻隊の若き英雄達。

今の日本の平和は、あなたたちのおかげです・・・

【特攻隊英霊】の姿

神風特攻隊の発信基地の1つが、鹿児島県知覧町です。

そこには、知覧特攻平和会館があります。

館内には地区特攻隊員の遺影や遺品、遺書、また記録映像などの資料がある。

祖国と決別し、最後にの地となったこの知覧で特攻隊員が最後に何を想い出撃していったのか?

戦後に生まれた人は戦争の本当の姿を知らない。

あるのは、ほんの少しの知識のみ。

ここに展示してある数々の遺書の一枚一枚を拝読する事でしか心をくみ取る事が出来ない。

そこにあるのは、限られた残り僅かな命を精一杯生きようとする少年たちの姿であり、また彼らが命を捨てても守ろうとした家族に向けられた愛情。

特に少年飛行士は、母親に対する想いの強さが伝わる。

そして「自分が死んだ後の日本を託しました」と・・・・

言葉を換えれば、「自分の死を無駄にしないでくれるなよ!」との最後のメッセージでもあった。

印象的一枚の写真がある。

出撃2時間前に子犬を抱いた17歳から18歳の少年飛行兵達のなんとも純粋無垢な笑顔であった。

記録には犬好きの荒木伍長(17歳)は子犬のつぶらな瞳を見てたまらなく愛おしくなり、抱き上げて頬ずりした。

このとき、小さいながらもこの世に生きるものへの切ない惜別の情を感じていたのだろう。

そこに、仲間の少年飛行士たちがやってきて「おい、チビちゃん元気出せよ」「大きくなれよ、チビちゃん」と口々に声をかけた。

荒木伍長を中心に笑顔が並び、出撃を2時間御に控えてるとはとても思えないほど穏やかな5人の姿があった。

また記録には、出撃を前にした夜に隊員達は宴会を開いた。

最初は賑やかに楽しく酒を酌み交わしていたが、酒の量が増すうちに、隊員の中には故郷が遠くて家族との暇乞いが出来なかったことへの心残りを抱いたり、死に直面して恐怖を感じたり、涙を流す者もいた。

高橋伍長(17歳)もその内の一人。

心との葛藤の末、涙を流す隊員達を内務班長の西川信儀軍曹がなだめすかして寝床に入れた。

死を目前に、しの恐怖、孤独に震え、家族の下へ駆けつけ母親に抱き着き思いっきり甘えたかっただろうに。

10代の少年が背負には、あまりにも酷で残酷な現実がそこにはあった。

彼らは昭和20年5月27日に出撃し沖縄南部にて戦死した。

10代で死を覚悟しなければならなかった彼らの無念を想えば、今こうして平和な日本があるのは、彼らの犠牲の上にあるのだという事を決して忘れてはならない。

特攻隊というと一般的に知られているのは航空特攻だが、その他に陸上特攻、水上特攻、水中特攻なども行われた。

大津島には水中特攻として知られる潜水艦から発射される人間魚雷「回天」の訓練基地があった。

戦局が悪化した戦後末期に「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いを込めて命名された。

人間魚雷は、1.5トンの爆薬と共に敵の軍艦に衝突するもの。

通常の魚雷の3倍の爆薬を積んで激突するので死んでいった兵士の遺骨すら残らない。

終戦後、マッカーサー司令部のサザーランド参謀長が日本軍史に「天回を積んだ潜水艦は太平洋にあと何隻残っているのか?」と真っ先に尋ねたそうだ。

「10隻はいる」と聞き、「それは大変だ!一刻も早く戦闘を停止してもらわなければ」と顔色を変えたそうである。

スポンサーリンク



「特攻最後の証言」

「日本はもう防波堤のない状態になってしまいました。

アメリカはいつでも日本本土に上陸できる。

もし本土での陸上戦闘になれば、日本の国民も国土も文化もすべてが失われると思いました。

人間魚雷の一言でこれこそアメリカ上陸を阻止しなければと思いました。

我々は、命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。

それができるなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。」と語っている。

一人の身を捨て、その代わりにたくさんのを助ける。

特攻隊員は皆、とにかく日本人をこの地上に残したい。

その為に、自分の命は投げ出しても良いと、納得したうえでの捨て身っだったのだ。

あなた達の死は無駄ではなかった日本は今平和です!

若き英霊に捧げる!哀悼の意


ありかとう・・・日本は今あなた方のおかげで平和です!

安らかにお眠り下さい!

Related Post

スポンサーリンク