4000年の中国「最悪の女帝」と呼ばれ憎まれ続けている西太后(1835~1908)
西太后は残虐な悪女誰もがそう信じる様になには映画で描かれた衝撃的なシーンが関わっている。
踊りが上手い麗妃は西太后の夫(咸豊帝)から寵愛を受けます。
嫉妬に狂った西太后は彼女が二度と踊れない様、手足を切断し殺さずに甕に詰めて見世物にしたのです。

実は、このエピソードは全くの嘘!
その先に見えてくる真実の謎に迫る!
虚実渦巻く最悪の悪女伝説
1852年 清の皇帝・咸豊帝の側室となった西太后。
4年後には男の子を出産。
その子がわずか6歳で皇帝に即位すると実の母親として政権を掌握。
そして数々の悪女伝説が幕を開けるのです!

西太后の悪女伝説①
国の予算を湯水のごとく使った浪費家。
当時の清の国家予算は4兆円。
それを皇帝の後継人として自由にお金を使える立場にいた西太后。
とりわけ、彼女の贅沢として有名なのが満漢全席です。

毎食、西太后1人の為に中国各地の美味1000皿以上の絶品料理が並びました。
その1日の食費は、なんと1000万円!
しかし彼女が実際に箸をつけるのは1,2皿程度だったと言われている。
更に東京ドーム62個分の広さを誇る頤和園(世界遺産)
西太后が国の軍事費を流用して1兆5000億円で作った庭園です。
この頤和園にロシアのサーカス団を呼んだ西太后。
空中ブランコの妙技に感動しポンと与えたギャラはおよそ5憶円!
凄まじい金遣いの荒さ!
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西太后悪女伝説②
権力への執着
国を好き勝手に動かす西太后の独裁政治に何度も抵抗勢力が立ち上がる。
その都度、彼女は策略と陰謀で抵抗勢力を排除した。
反対する人間に待っているのは「死」
政治家はもちろん、身内の皇后たちをも手にかけ皇帝となった甥の光緒帝も暗殺したと言われている。
こうして大中国に君臨すること実に47年!
西太后が74歳でこの世を去るまで清のトップに君臨し続けたのだ。
外国が巨大な大陸を植民地にしようと触手を伸ばすなか・・・
浪費や独裁に走った彼女は、後に政権を握った中華民国そして現在の共産党政権から戦争敗因とされました。
そんな西太后の子孫達はどんな生活をしてきたのか?
西太后の子孫 那 根正さんは、ひ孫にあたる人物です。
「子供の頃は西太后の子孫 ということでよくいじめられた。
大人になってからも大学入学を拒まれ好きな人と結婚も許されませんでした。
私たちは親から外では西太后の子孫 あることを出来るだけ隠すようにと言われて育てられてきたのです。」と語る。
故宮博物院 中国の宮廷の歴史を研究する国の機関
故宮博物院 図書館福館長の話によると・・・
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「西太后は悪女ではない!」と主張。
副館長の話によると・・・
西太后は悪女どころか優れた統治者なのです。
それは、西太后だけが特別贅沢だった訳ではないという!
ただ彼女は初めて中国のトップの暮らしを海外に向けて公にしました。
結果、清朝はほとんどの領域を奪われずに存続したのです。
贅沢な暮らしのアピールが清の領土を守った!?
当時、列強はいくら勝っても広大な国土と4億人を抱える清国を完全に植民地にすることは難しいと感じていた。
その時、西太后は開放的な外交へと転換していきます。
外国の公使夫人を何度も宮廷へ招き、趣向を凝らした盛大な宴を催して中国の国力をアピールし続けたのです。
当時の連合軍司令官だったワルデルゼーはこう語っている。
「列強の力を合わせても中国人の4分の1すら治める事は難しいだろう」と。
西太后の豪勢な生活ぶりにより中国の持つ底力を見せつけられた諸外国は直接支配は諦め、
西太后を利用した間接支配へと転換したのだ。
更に、伝えられている西太后の残虐性も広大な大陸を支配する上で必要だった!?
西太后は、政務に関してとても厳しい人でした。
支持を遂行できなかった宦官を処刑し常に震えあがらせていたのです。
そこまでしないと広大な国土と4億人を抱える大国のトップには君臨できませんでした。
西太后は、多民族が暮らす中国を統治するには権力を国内にアピールする必要があったのだ。
側近だった徳齢の著書に西太后の言葉が残っていました。
そこには・・・
重圧に耐え続ける女帝の苦悩が・・・
「皆は私が幸せだと思っているようだが何かうまくいかないと、責められるのはいつも私だ」
浪費に権力への執着・・・・
その汚名を被り西太后は、あえて悪女として生きる事で中国を守ろうとしていたのだ!
彼女は孤独感にさいなまれていたのかもしれません。
悪女として憎まれ続けた女帝 西太后
しかし、その死から100年が経ち西太后の再評価が進んでいる。
例えば西太后が毎日の様に見ていた「京劇」は彼女の手厚い庇護により中国が世界に誇る伝統芸能として今に残りました。
更に、西太后が食していた「満願全席」は現在の中華料理の基盤となっています。
悪女と呼ばれながらも西太后は、列強に支配されていたら失っていた中国文化を後世に残したのです。