多くの国の政府が一斉に、地球外生命体の探索を始めたのは一体なぜなのでしょうか?
1948年から69年にアメリカ空軍は、1万件以上のUFOの目撃情報を集めました。
すべての将校がUFOらしき飛行物体を見たかどうかを調べられ、目撃したものを表明しないよう指示されたのです。
地球外生命体が人間社会に加入していることに、アメリカ政府が気づいている可能性を受け入れるべきです。
ブレイクスリーリッスン
2015年7月20日イギリス・ロンドン
王立協会は理論物理学者のスティーブン・ホーキングや地球外知的生命探査、セティの設立者フランク・ドレイクなどの科学者たちが参加するプロジェクトを発表した。
ロシア人の大富豪ユウリ・ミルナーが指導する、ブレイクスリーリッスンである。
10年という期間と、1億ドルが費やされるこのプロジェクトは、地上最大規模の範囲で宇宙の通信を傍受し、地球外生命体を探すことを目的としている。
年間数千時間、北アメリカとオーストラリアの電波望遠鏡で受信したデータを分析て、太陽系のからたからの電波信号を探索するという。
このブレークスルーリッスンというプロジェクトが画期的なのは、膨大な数の星を調査するだけでなく、これまでの10倍に及ぶ範囲で探査が行われるからなんです。
ある時期から地球外生命体の存在について見解が一致したのだと思います。
今は宇宙を観測して生命を維持できる惑星を科学的に探し出すことが可能になってきました。
地球外に生命体が存在する見込みが高いことも分かってきているのです。
ブレークスルーリッスンは、支流の科学者たちが地球外の知的生命体を探す目的で立ち上げた初の一大プロジェクト。
会見の中で、スティーブ・ンホーキングはこう述べだ
「果てしない宇宙には他の生命体がいるはずだ!この何よりも大きな謎の答えを探すべき時が来たと。」
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地球外知的生命体を探せ
新プロジェクトの立ち上げは価値のあることだが、地球外に生命の存在を探す試みは長年続けられてきた。
1947年ごろに起きた一連の出来事によって、アメリカ政府による宇宙人探しが始まった。
1947年に、警察や空港に少なくとも800件の報告が寄せられたというデータが残っています。
人々が、得体の知れない飛行物体を見たと言ったのです。
中でも重要なのは、ワシントン州のレーニア山付近で起きた事件でしょう。世界中で報道されました。
1947年6月24日
実業家のケネス・アーノルドが自家用機で飛んでいたときのことです。
レーニア山の近くに差し掛かると、突然目の前を正体不明の奇妙な飛行物体の1軍が飛んで行ったといいます。
2つの山頂の距離から、その奇妙な飛行物体の速度を算出すると時速1900キロから2700キロだったそうです。
その時代、時速1000キロを超える航空機はありませんでした。
間違いなく地球で作られたものではなかったのです。
ファーノルドは後に、その飛行物体は平たい形で水面を跳ねる皿のような飛び方をしていたと説明しました。
そこから、「空飛ぶ円盤」という言葉が生まれたのです。
アーノルドの目撃報告から数日以内にアメリカ北西部で、同じような飛行物体を見たという報告がさらに20件もありました。
それがきっかけとなり、何百もの報告が殺到したのです。
そうした目撃報告からわずか2週間後に、有名なロズウェル事件が起きた。
だが軍当局の宇宙人探しに拍車をかけたのは、その1日毎に起きたUFO遭遇事件だったという。
1947年7月7日
エドワーズ空軍基地でジェーシーワイズ少佐が試作戦闘機の離陸準備をしていると、周りの人々が遠くの空を見止めていることに気づきました。
見ると上空およそ3000メートルのところで、直球2m~3m の黄色く光る物体が回転していたといいます。
その後、将校たちは全員UFOらしき飛行物体を見たかどうかを調査票に記入させられ、目撃したものや調査票に書いた内容は口外しないよう指示されたのです。
1947年の夏までに、膨大な数のUFOの目撃報告が軍に届いたことから、ライトフィールド基地のエイサンホトワイニング中将は、すべての目撃報告を集めるための新たな体制をつくりました。
その結果アメリカ軍の中に、「プロジェクトサイン」という、UFOを研究プロジェクトが設置されたのです。
1948年1月22日
アメリカ政府は、UFOを現象を研究する極秘プロジェクトの設置を始めて許可した。それが、「プロジェクトサイン」である。
チームプロジェクトサインは、目撃されたUFOが本物だと主張し、地球外から来たものである可能性を示唆しました。
ところが軍の上層部がその報告書を修正して、プロジェクトグラッジに名称変更した後、最終的にはプロジェクトブルーブックになりました。
空軍は、UFO現象が本物だという証拠や、国の安全を脅かすものである証拠がない!と言う理由でプロジェクトブルーブックも廃止しました。
1948年から69年までにアメリカ空軍は、12,618件の目撃報告を集めましたが、そのうちの701件は、いまだに解明されていません。
空軍当局は、地球外の飛行物体が存在する明確な証拠が見つからなかったと報告しているが、プロジェクトブルーブックに参加した重要人物は異論を捉えている。
その人物とは、オハイオ州立大学の物理学部及び、天文学部の教授 j アレンハイネック博士だ。
彼は、プロジェクトグラッジとプロジェクトブルーブックの科学顧問だった。
空軍の科学顧問に就任した当初、ハイネック博士は純粋に疑念を抱いていました。
UFO現象は馬鹿げていると考えていたほどです。
ところが、研究に深く関わり戦闘機のパイロットのような信頼できる目撃者たちから話を聞くうちに、UFO現象は無視できないと悟ったのです。
後年ハイネック博士は、UFO現象に関する限界を変え、2つのことを語りました。
・空軍は、まるで強制されているかのようにUFOに関するあらゆる目撃情報に関して答えを出そうとしていたこと。
・そして自分は、非常に信頼出来る目撃者の証言によってUFOが本物だと信じるようになったこと。
その間UFOを研究者や学者たちは、情報公開法を利用してプロジェクトブルーブックの情報を入手しようと試みた。
だが目撃者の名前などの個人情報が黒く塗りつぶされており、さらなる調査は妨げられたという。
UFOの目撃報告が機密扱いにされているということは、アメリカ政府の上層部やそれ以上の権力者は、地球外生命体が人間社会に加入していることを認識している可能性があります。
過去60年間、隠蔽されてきたのではないでしょうか。
プロジェクトが極秘にされているのは、ハイネック博士の驚くべき主張が真実だからなのか?
地球外の飛行物体との接触は、一般市民に知らされていないのか?
そして人類は、はるか昔から宇宙人とコンタクトしてきたというのか?
情報が公開される日は来るのだろうか?