【3.11】トモダチ作戦に隠された真実!

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2011年3月15日、赤崎地区公民館のヘリポートへサインを見つけたアメリカ軍が正に降りてくる瞬間であった。

突然の出来事に戸惑を見せる人々。

しかし、支援物資を運んで来てくれたと分かると自然と列を作り始めました。

【3.11】トモダチ作戦に隠された真実

震災から5日目、待ちに待った援助でした。

大人たちも、子供たちも一緒になって運びます。

底を尽きかけていた食料も、これで何とかなりました。

アメリカ軍は二日間に渡り計8回、赤崎公民館にピストン輸送を

し続けてくれたのです。

アメリカ軍は、水以外にも食料品を沢山運んできてくれました。

日本人が好きなインスタント麺やカロリーを補給しやすいスナック菓子など。

被災者の事を考えての品ぞろえです。

陸の孤島だった赤崎公民館。

アメリカ軍の支援は、何物にも代えがたい物でした。

目に涙を浮かべて見送る人もいました。

心からの感謝です。

いち早く駆け付けた沖縄海兵隊

彼らは沖縄県を拠点とする第31海兵遠征部隊の兵士たち。

イラク戦争などに派遣された事もある海兵隊の精鋭部隊。

戦艦「エセックス」を離れ夜明けの海へ!

テントや寝袋など野営生活で必要な装備を背負ったおよそ170人の兵士たちが乗り込むのは、2艇の上陸用舟艇。

水深の浅い場所への上陸に使われる物だ。

大量の援助物資や重機の隙間を埋める様に乗り込んだ兵士たち。

凍えるような冷たい海風に思わず身を縮める。

彼らの願いは「日本の人々を助けるために自分ができるかぎりの事をしたい」という願いであった。

エセックスを離れたからおよそ1時間、午前6時前に宮城県気仙沼市の沖合に浮かぶ大島に到着した。

「トモダチ作戦」の画像検索結果

いよいよアメリカ軍の上陸作戦が始まる。

アメリカ軍が主に行っていくのが、島の人々の生活に欠かせない

浦の浜港のがれきの撤去や周辺の復旧作業。

陸上自衛隊と海上自衛隊から派遣された隊員が、島の人達が何をしてほしいのかを伝える調整役を務めた。

在沖縄米軍の立ち上がりは早かった

地震が起きた11日の夕方には、普天間飛行場に配備している

輸送ヘリ4機が夜間飛行を敢行。

岩国基地から厚木基地に水と毛布を届けた。

その後も、普天間飛行場や嘉手納基地から物資を運ぶヘリが順次、

本土に向かった。

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トモダチ作戦」では史上最大の4万人の米兵が日本に派遣され、

中でも沖縄の海兵隊はいち早く被災地に到着し

驚異的なスピードで仙台空港を復旧させた。

沖縄県民は当初、米軍の救助活動に懐疑的だったが、

民放送各局や県外紙が在沖海兵隊が自衛隊と協力して、

支援活動を展開する姿をリアルタイムに伝えたため、

実態を知り海兵隊に対する共感の輪が広がり始めた。

那覇市のあるホテル幹部は「他国で起きた震災の支援に全力を挙げる姿を見て、

沖縄に駐留していて良かったと実感した。

米軍基地を抱えている沖縄から新しい防衛論を発信すべきだと」語った。

在沖縄米軍海兵隊外交政策部次長

ロバード・D・エルドリッジ

「ロバートエルドリッジ」の画像検索結果

トモダチ作戦を発案した主導者であり

災害における日米協力の専門家でもある。

気仙沼市長よりエルドリッジに送られた手紙

 

米国海兵隊太平洋在沖縄海兵隊バドラー基地

外務外交次長

ロバート・エルドリッジ様

貴隊におかれましては、昨日の東日本大震災において

寛大な被害を受けた被災地の救援に当たって頂きましたが、

特に交通網、インフラ整備が遮断し孤立した本市の大島へ

懸命の救助・支援活動を行って頂きましたことに対しまして

気仙沼市民一同、今でも感謝の念に堪えません。

トモダチ作戦を通じて紡がれた「絆」を

尚一層友好に満ちたものとなる事を祈願し、

今後ともご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げ

米国海兵隊創立日のお祝いのメッセージと致します。

との手紙を送った。

まとめ

米国が日本国の再建のために、温かい好意と援助の手を

さしのべられた事に対し、当時の震災を忘れてしまった人々が

過半数を占めようとしております。

しかし、たとえ今後、時代が移り変わろうとも

米国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、

永く語り継がれていくものと信じます。
また、善意の任務遂行中に被爆し、不幸にも亡くなられた方や

今も放射能の被害で苦しむ人が多くいる事を、

私達日本人は忘れないでしょう。

 

 

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