進化論を研究する科学者の間でさえダーウィンの進化論は批判されている

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チャールズ・ダーウィンという名前と彼が唱えた「進化論」の事を一度も聞いた事がないという人は少ないでしょう。

少なくとも、環境に適したものが生き残って進化してきた。

人間が猿から進化したという程度の認識を誰もが持っているはず。

進化とは「」が変わる事

」とは、子孫を残す事が出来る集団です。

例えば、黒人と白人が結婚しても子孫を残せるので同じ種です。

しかし、人間と猿との間には子孫は残せないので、異なる種なのです。

つまり、何らかの理由で猿から人間に変化するというように、

種が変わる事を「進化」と言います。

ダーウィンの進化論は、自然選択と適者生存という仮説から成り立っています。

・自然選択

生存に適さない形質を持ったものは自然界に「選択」されて血統が絶える。

・敵者生存

生存に適した形質を持ったものは、競争に勝ち抜いて
子孫を残し長い時間をかけて新しい「種」になる。

ところが現代・・・

進化論を研究する科学者でさえダーウィンの進化論は批判されている

最先端の進化論は、ダーウィンが考えもしなかった姿に豹変を遂げています。

進化論は、どの様な終着点を迎えるのか?

ダーウィンの著書「種の起源」(1859年)が発表された当時、

キリスト協会などから多くの反対がありました。

「ダーウィン」の画像検索結果

新聞には、猿の姿をしたダーウィンの風刺画が何度も掲載され、

猿が人間に進化するはずがない!とイギリス国内で批判され続けた。

ところが、やがて彼の進化論は学会の主流となっていった。

彼の説を補強すると思われる次の様な発見が相次いだからです。

1901年フーゴー・ド・フリースが「突然異変」の発見しました。

祖先にはなかった形質を備えた個体が突然出現し、

その形質が子孫に伝わっていくのです。

これは、環境によって引き起こされたのではなく、

遺伝情報に何らかの変化が起きた事の証です。

更に、1953年ジェームズワトソンとフランシスクリックが、

生物の遺伝情報を伝えている分子DNAを発見します。

DNAは、子孫に情報を伝える際に自らのコピーを作ります。

そして、そのコピー作業の中で極稀にミスを起こす事が分かりました。

このコピーミスこそ、突然変異の正体だと進化論者は考えたのです。

こうして進化論は、次の結論に達したのです。

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進化はDNAのコピーミスすなわち突然変異によって生じる!

こうして生じた新しい形質は自然選択によってより分けられ、

環境に適したものだけが生き残る。

これを「総合進化説」といい、進化論の主流となりました。

ここには、ダーウィンの自然選択と適者生存という思想が、

脈々と流れています。

これが、進化論=ダーウィンとイメージされる由縁です。

総合進化説の現代における継承者は、リチャード・ドーキンス

という動物学者です。

彼の思想のポイントは、利己的遺伝子というものです。

ドーキンスは、「我々は皆DNAと呼ばれる分子が生き延びる為の生存機械なのである」と述べています。

私達人間も実は、DNAに操られ利用されているにすぎないという訳です。

生命の本質は心や体ではなくDNAなのだと言うのです。

この様な「総合進化説」に対し京都大学の今西錦司は、

1949年、生物の「種」同士が棲み分け他の「種」との

競合を避けていると言う「棲み分け理論」の提唱し異を唱えたのです。

例えば京都の鴨川に生息す4種類の日向カゲロウの幼虫は、

流れの強さの違いによって棲み分けます。

5種類の種に分かれるアメリカムシクイという鳥は、

1本の木を5等分して餌場を分け合います。

どんなに空腹でも、他の種の餌場は荒らしません。

この様な事実に基づき今西は、自然選択・適者生存という思想に反旗を翻したのです。

総合進化説を全面否定した今西進化論は、1985年に有力な科学雑誌「ネイチャー」にて過酷な競争社会に住む日本人が競争のない社会に憧れているに過ぎないと徹底的にたたかれたました。

その後、進化論の主流になる事はありませんでした。

ダーウィンやドーキンスの強みは「総合進化説」が実験で否定された事がないという事でした。

進化には数千年、数万年を要するためとても実験で確認できるものではありませんでした。

その様な中で、実験によって総合進化説を決定的に否定した人物が現れました。

大阪大学の四方哲也です。

1997年、四方が実験に選んだのは大腸菌でした。

大腸菌は世代交代が極めて速く、100世代の経過に10日しかかかりません。

これならば、ビデオテープを早回しするように進化を目の前で確認できると考えたのだ。

まずDNAを操作して繁殖率の強い大腸菌H株を生み出します。

これを天然のW株と一緒に培養機に入れ一定の速度で餌を与え続けるというシンプルな実験でした。

総合進化説によれば、適者生存の原則によって繁殖力の強いH株が餌を独占して生き残りW株は絶滅するはずです。

ところが実験では、それぞれが一定の数を保ったまま共生していく結果となったのです。

この実験は、シンプルであるがゆえに説得力がありました。

誰もが、同じ実験が行え同じ結果を導く事が出来るからです。

科学理論とは、再現性のある実験で検証されてこそ価値を持ちます。

ダーウィン信仰者たちも、これにはお手上げでした。

今西が提唱したように自然界は競争ではなく共生という原理に支配されていたのです。

1996年ボストン大学で開かれた「生物学の未来」と題するシンポジウムは、多数の生物学会の実力者が参加しました。

その講演者の一人であった、女性生物学者リン・マーギュリスは次の様に宣言しました。

総合進化説は、潜在的な危険性を秘めているので逸脱したものとして地位を占めるべきなのです

この主張に対して他の進化論者は反論できませんでした。

何故なら、彼女が微生物の専門家だったからです。

微生物は植物や動物が登場する数十億年も前から生存しています。

生物の歴史の80%は、微生物たちによって営まれてきたのです。

大半の進化論者は、植物や動物を研究しています。

ところが、マーギュリスは他の進化論者達が殆ど知らない生物界の80%について特別な権威を持って話す事が出来たのです。

では、マーギュルスは一体何を明らかにしたのでしょうか?

四方哲也は、生物は競争せず共生するという事を示しました。

マーギュルスは、更に一歩進んで「生物は共生によって進化してきた」という事を明らかにしたのです。

具体的には、動物や植物の祖先である原生生物の誕生について解明しました。

細菌が共同生活をしながら互いの能力を相手に提供しあい、遂には両者の長所を持つ1つの新たな原生生物となった事を見出したのです。

共生、すなわち「他者の為に生きる」事が進化を促したという訳です。

この様なマーギュルスの主張は「共生進化論」と呼ばれています。

ダーウィン進化論の継承者ドーキンスは、「利己的遺伝子」という仮説を唱えました。

生命現象は遺伝子、すなわちDNAが決めているというのだ。

DNAは、生命の設計図であるという訳です。

小説や映画で大ヒットしたジェラシック・パークでは、古代の蚊が吸った恐竜の血液からDNAを抽出し現代に恐竜を出現させるストーリーが描かれています。

もし、DNAは生命の設計図であるという思想が正しければ、この物語は近い将来現実の物となるでしょう。

しかしDNAの研究が進むと、この様な考え方は間違っている事が判明したのです。

一例をあげましょう。

人間の身体は糖たんぱく質という分子によって構成されています。

糖たんぱく質とは、複数のアミノ酸と糖が結びついたものです。

もし、DNAが生命の設計図であればアミノ酸と糖の結合の仕方も、当然DNAが支配しているはずです。

ところが、DNAに記載されている情報は、アミノ酸同士が結びつく順序だけであり、どんな糖をどれだけ結びつけるかという情報は全く書かれていません。

糖の結合の仕方は「基質の濃度」という環境からの情報によって決まっているのです。

この糖を結びつける情報は、糖たんぱく質を構成する全情報のおよそ80%を占めます。

つまり、DNAは糖たんぱく質を形作る際に20%の役割しか果たしていないのです。

分子レベルでもこの程度なのですから、複雑な各器官がDNAによって作られているはずがありません。

例えば、手には先端に爪を備えた5本の指があり、指先には指紋、手のひらにはしわがありますが、これらを決定している情報はDNAのどこにも書かれていないのです。

DNAは、生命の設計図であると言い切るには大きな無理があるのです。

更に免疫学という分野で、驚くべき発見がありました。

人体の免疫を司るB細胞の中では、侵入してきた病原菌に応じて離れた場所にあるそれぞれのDNAが適当な長さに切れ、互いに繋がって新しいDNAに変化しているのです。

そして、その新しいDNAをもとに病原菌に対抗する抗体という分子を作りだしているのです。

これが、様々な病原菌を排除している免疫の秘密です。

生命体は、その場の状況に応じて臨機応変にDNAの利用の仕方を変えているのです。

この現象を発したのは、ノーベル賞受賞者の利根川進です。

利根川は、この事について「DNAも思考する」と述べています。

正に、DNAが意思を持って自らの姿を変えているようにも感じられます。

国際免疫学会連合の元会長であり免疫学の第一人者である多田富雄は次の様に述べています。

「人間はDNAに利用される乗り物ではない、人間の方こそDNAという乗り物に乗ってこの世に生まれ、その全機能を利用して生きているのだ」

ドーキンスは、DNAが生物を利用しているという利己的遺伝子の概念を主張しました。

しかし、実際には生物を外敵から守る為にDNAが見えない意思を持って入舸の様に、自らの姿を変えているのです。

むしろ、利他的遺伝子と呼ぶ方がふさわしいのです。

生物の主体はDNAではなく、生命という見えない存在だったのです。

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共生進化論を提唱した微生物学者マーギュルスの様に、微小な世界を研究する進化論者が増えてくると偶然の積み重ねで生物が進化したという考え方に異を唱える学者が多くなってきました。

それは、微小な世界が驚くほど巧妙に出来ている事が分かったからです。

例えば、生物の細胞は精密なハイテク工場の様になっていました。

まず、DNAに書かれた情報がメッセンジャーRNAにコピーされます。

次にこのメッセンジャーRNAがリボソームという器官に設置されます。

すると、メッセンジャーRNAに移しとられた各情報に合わせて、転移RNAがアミノ酸を運んできます。

そして、リボソーム内でアミノ酸がDNAの情報通りに連結していく事でたんぱく質を作り出していたのです。

また、小さなバクテリアの電妄は、人間が作る毛帯よりも高性能である事も分かりました。

この電妄モーターは、わずか25種類のたんぱく質から出来ており回転数は1分間におよそ2万回です。

これは、F1レーシングカーのエンジンと同じです。

エネルギー変換効率は、ほぼ100%です。

つまり、全く無駄のない動きをしているのです。

更に、車のクラッチと同じ機能も組み込まれていました。

クラッチが入っている時は、モーターから電妄に回転運動が伝わりバクテリアは前に進む事が出来ます。

一方、クラッチが切れている状態ではモーターが回転していても電妄に回転運動が伝わらないのでバクテリアは止まっている事が出来ます。

人間が車を発明するずっと以前から、バクテリアは高度な動力制御の仕組みを備えていたのです。

微小な世界は、単純であろうと考えていた科学者たちは精密機械の様な物が次々と発見され驚きを隠せませんでした。

この様な物が、偶然の積み重ねによる進化で生まれたと考える事は、あまり科学的ではありません。

「人間が作る機械にも設計者がいるのだから、自然界も知性ある存在によって設計されたと考えるべきだ」という科学者たちが増えてきました。

こうした彼らの考えは、インテリジェント・デザイン仮説、通称「ID仮説」と呼ばれている。

ダーウィンやドーキンスは、自然界が自己中心の原理で動いているという観点で自然を見つめていました。

ところが実は正反対であり、自然界は共生、他者の為に生きるという原則で動いていました。

また、生物はDNAに支配されているのではなく、見えない生命が主体となっている事も分かりました。

更にはID仮説に代表される様に、自然界には知的な設計者が存在すると考えた方が科学的であると言われるまでになりました。

その知的な設計者こそ、創造主としての神であると言えるのではないでしょうか。

その様な立場で自然を見つめなおしてみると、ダーウィンが唱えた自然選択や適者生存の原理で進化したとは到底思えないもの。

知性を持った神が、人間を楽しませる為に造ったとしか考えられないものだ。

自然界には多く存在するものが見いだされる様になりまりた。

その結果、神は偉大なデザイナー。

地球は、神が創造したテーマパーク。

自然界は、最高のエンターテインメントなどと表現される様になっています。

まとめ

ダーウィンの時代も、現代も見られている自然は変わりません。

同じ自然を見ても、見方によって見え方が変わるのです。

今や進化論は、競争、利己主義、神なき自然現象とう見方から、

共生、利他主義、神による創造という見方に変化しているのです。

もともと進化論は、神の存在を否定して訳ではありませんでした。

生物がどの様な歴史を経て現在の姿になったのかという事を説明しているに過ぎなかったのです。

そして今や終着点にたどり着いた進化論は、

創造主である「神の存在」を認め始めているのです。

引用元「進化論の終着点」より

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