何故、日本人は世界中の人々から愛されているのか?その真相に迫る!

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2011年3月11日、東日本だ震災が日本を襲った。

この未曾有うの大災害に世界中の人々が手を差し伸べてくれた事をご存知だろうか?

何故、これ程まで日本は世界中から愛されているのか?

その真相に迫る!

何故、日本人は世界中の人々から愛されているのか?

200億円という最も多くの義援金を寄せてくれた台湾。

国家公務員が自らの給料を寄付してくれたモンゴル。

オペレーション「トモダチ」の名のもとに艦隊が出動し軍人8000人が駆け付けたアメリカ。

インド洋に浮かぶ小さな島にあるモルディブは、国の特産品のツナ缶を69万個を贈ってくれた。

平均月収およそ4万円の国の人々がお金を出し合い援助してくれたのだ。

他にも世界142にも及ぶ国が日本を助けてくれた。

しかし、日本がこれだけ多くの国に愛される理由を私たちは知らない!

例えばインドネシア、この国で世界に最も良い影響を与えている国はと聞いたところ、

なんと国民の85%が「日本」と答えた。

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なぜそこまで日本を愛しているのか?

そこには今から60年前にさかのぼる。

16世紀以降インドネシアは、350年間のながきにわたりオランダの植民地として厳しい支配に耐えて来た。

その扱いは、家畜より酷かったと言われている。

そして、第二次世界大戦中日本軍がこの地に進行、オランダに代わり日本が統治した。

「今度は日本人に虐げられるのか」とインドネシアの人々は誰もがそう思っていた。

しかし、日本は。

「私たちは占領しに来たのではありません。私達の持っている技術をすべて教えます。皆さんインドネシア人としての誇りを持って自らの手でこの国を豊かにして頂きたい」と述べた。

また日本軍は幽閉されていた指導者を開放。

更には子供たちの教育に力を入れ学校建設などを手掛けた。

そして、日本軍の協力で民族軍も結成。

しかし、1945年、日本は敗戦。

日本軍は撤退しインドネシアは再びオランダの統治下になった。

このままでは、インドネシアという国に未来はない。

今こそ、日本人たちから教えられた「誇り」を取り戻そう。

インドネシアの人々は自ら立ち上がった。

オランダに独立戦争を仕掛けたのだ。

日本人に教えられた「誇り」を胸に。

それを見た日本軍兵士達は・・・

この地に残りインドネシアの独立と自由の為に命を懸けて戦った。

その数、2000人以上。

4年5か月にも及んだ激しい戦争の末、1949年インドネシアは遂に独立を果たした。

もし日本人がこの地に来なければ、インドネシアの独立は遅れていたかもしれない。

日本から遠く離れた中央アジアの国ウズベキスタン。

この国で最も有名な建物、それが「ナヴォイ劇場

中央アジアで最も格式の高い劇場として知られている。

実はこの劇場に日本が愛され続ける秘密が隠されていた。

1945年、日本は敗戦。

ソ連は日本人を多く捕虜にしウズベキスタンの強制労働施設へ送り込んだ。

そこで日本軍捕虜たちを待っていたのは、「お前たちは捕虜としてこの場所に劇場を造るんだ」

日本人捕虜の任務は劇場の建築だった。

しかし、毎日6時に起床しヘトヘトになるまで作業を続けるまともな労働ではなかった。

更に食事は粗末な食事。

半分腐ったジャガイモや骨ばかりの羊の肉。

小麦と水だけという事もあった。

しかし、日本人軍の士気は下がっていなかった。

「我々は今まで多くの街を戦争で破壊してきた、今度は誰かのために新しい物を作ろう」

彼らは日本人としての誇りを持って世界一の劇場を作り上げると決意した。

暫くすると、地元の子供たちがパンや果物を差し入れる様になった。

そんなある日、いつもの場所に置かれた手作りのオモチャ。

強制労働で疲れ切った体にも関わらず、日本人は受けた恩に精一杯の感謝を伝えようとした。

しかし、栄養失調と疲労で犠牲者が後を絶たなかった。

日本人捕虜たちの体力・気力は限界を超えていた。

そして、2年の月日が流れ「ナヴォイ劇場」が完成した。

威風堂々とした外観、美しい模様や繊細な彫刻。

過酷な労働条件の中、館内の細部の装飾にまでこだわぬかれていた。

関わった日本人捕虜は500人。

しかし、そのうち79人が建設途中に帰らぬ人となった。

時は過ぎ、完成から20年後の1966年、ウズベキスタンにマグニチュード8の大地震が襲った。

街の建物は崩壊、あたり一面がれきに山に。

しかし、そこでウズベキスタンの人々は一つの軌跡を目の当たりにする。

それは、変わらぬ姿で凜と建つ、無傷のナヴォイ劇場の姿だった。

日本人たちの仕事に彼らは敬意を表した。

そして、1991年、ソ連が崩壊し独立国家となった時には、この劇場に日本人達の功績を称えるプレートを掲げた。

その際、大統領は「彼らは恩人だ。間違っても捕虜などと書くな」と指示したと言う。

プレートに記された、日本国民という文字にそんな思いが込められている。

あの強制労働で亡くなっていった日本人達はウズベキスタンの地に眠っている。

そんな故郷に帰る事の出来なかった彼らの為に、墓地の周りには多くの桜の木が。

ウズベキスタンの女性は、生まれて来た子供にこう教える。

日本人は、戦いに敗れても誇りを失うことなく真面目に働いて立派な仕事をしたのよ」と。

あなたも、日本人の様になりなさい!と。

悲劇の中でも素晴らしい仕事を成し遂げた日本人。

その精神は、今も遠く離れたウズベキスタンの地で生きている。

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