【驚愕】日本に眠る未発見の時価数兆円の財宝の謎に迫る!

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日本には、まだまだ発見されていない財宝が眠っているのです。

未発見の財宝、その謎とミステリーを紹介したいと思います。

日本に眠る未発見の時価数兆円の財宝

昭和32年、銀座の真ん中であるものが発見されました。

工事現場で発見されたそれは、2,000枚以上の慶長小判。

「慶長小判」の画像検索結果

昭和36年、山形。

川遊びをしていた少年たちが小判を発見。

天保元年のものだと解りました。

当時、小判を運んでいた男性が川に転落。

運ばれていた小判は80枚。

当時の記録帳に書かれていました。

そして見つかった小判の数は72枚。

残り8枚はまだ未発見のまま。

この小判は現在、山形県白鷹町に保管されています。

2002年には、埼玉県のお寺の境内から38枚の小判が発見されています。

同じく2002年、富山県の豪農の屋敷の跡から小判や銀貨が。

日本には、まだまだ発見されていない財宝が眠っているのです。

未発見の日本の財宝

帰雲城に眠る財宝

岐阜県白河郷、世界遺産にも認定されている風向明媚な土地。

この地にかつて帰雲城と呼ばれる城がありました。

この城は、帰運城(きうんじょう)と呼ばれる事もあります。

城主の名は、内ケ島氏理(うじがしまうじまさ)。

周囲に7つの金や銀の鉱山を所有し莫大な利益をあげていました。

現在の価値に換算すると数兆円。

現在残されている帰雲城埋没地とする石碑や帰雲神社、これらはこの地に存在していたかもしれないとうだけのもの。

なぜなら、実際の帰雲城や城下町は一夜にして消えてしまったからです。

原因は、天正大地震。

1585年、深夜に起きたこの地震で帰雲城の後ろに聳える山が崩壊。

城と儒家町にいた人々を巻き込みました。

生存者はたまたま村を離れていた住民が数人のみ。

あまりにも変わり果てた景色のせいで城下町の場所も城の場所も分からなくなったと言われています。

戦後の事実調査で、山体崩壊の痕跡と土砂災害の痕跡が発見されました。

しかし、当時の詳細な文献は未発見のまま。

帰雲城のおおよその場所と土砂災害の規模や土石流の方向が分かれば、時価数兆円とも言われる財宝が見つかる可能性も。

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北海道に隠された義経の財宝

鎌倉幕府を作った源頼朝の弟「源義経」。

天才的な戦術で源氏を勝利に導いた武将です。

兄である頼朝に追われ岩手県平泉で亡くなったと言われています。

しかし、当時から義経生存説はささやかれていました。

原因とされるのが、頼朝のもとに運ばれた義経の首です。

1か月以上もかかって運ばれたその首は、義経本人のものとは判断できないような状態だったそうです。

義経が逃げたと言われる北の地には、言い伝えや義経の家紋が刻まれた石などの痕跡が残されています。

その一つが「財宝伝説」。

奥州藤原氏から逃走資金として砂金や黄金を託された義経。

自ら死を偽装し、そのまま北海道へ渡ったのです。

その時に持っていた砂金や黄金の一部を隠し義経はそのまま北へ。

この先の伝説は義経がモンゴルへ渡ったというものや、アイヌの娘との非恋物語などに繋がっていきます。

この逃走資金の隠し場所とされるのが、ラルマナイ川の上流と言われています。

他にも、熊ノ沢に隠されているという言い伝えも残されています。

戦後の大規模な調査では発見されていませんが、広大な北海道の地に義経の隠し財宝が眠っている可能性はまだ残されています。

横須賀沖に沈んだ幕府御用金

幕末の混乱の中で、徳川家の御用金が埋蔵された話は有名です。

しかし、もう一つ大阪に隠されていた軍用金の行方が分かっていません。

大阪から函館に運ばれる予定だったと言われています。

この軍資金をのせていた船は、出港後まもなく横須賀沖で座礁。

そのまま沈んだと言われています。

何度かテレビ番組などでも捜索されていますが未だに発見には至っていない。

江戸城が開城されたときに蔵の中が空だったのは事実。

江戸城御用金の行方も・・・

埋蔵された?海外に運ばれた?など色々囁かれています。

横須賀沖の海底には、他にも多くの沈没船が・・・

その中には、貿易品を積んだ外国の船もあります。

しかし、複雑な海底の地形と海流によって沈没した場所から移動してしまったり海溝に沈んでしまった船もあります。

貿易品の方が見つかる可能性は高いかもしれませんが、もしかしたらその中には「莫大な財宝」が・・・

カリブの財宝が日本に隠されている

カリブの海賊の宝が日本に隠されているとしたら、それは海賊キッドの財宝と言われています。

場所は、奄美大島近海の宝島と横当島。

この場所が、財宝の隠し場所と言われる理由は17世紀に発見された「ウィリアム・キッドの地図」です。

そこには、東シナ海という単語に島の形が描かれていました。

その島の形と一致するのが、宝島と横当島と言われています。

しかし、この話は海賊キッドが命乞いの為にした作り話とする説もあります。

もし、作り話だったとしても日本近海に実在していた海賊。

「財宝」の画像検索結果

倭寇の財宝が残っている可能性はあります。

日本各地に残されている財宝伝説。

そのうちのいくつかは実際に発見されています。

ここで紹介した財宝伝説もいつの日か発見されるかもしれません。

発見者があなただったら?

日本の法律では、落とし物は警察へ・・・

 

 

 

 

 

 

 

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