【驚愕】万葉の時代を揺るがせ怨霊と化した天皇直系の皇族の謎に迫る!

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2019年5月、新元号「令和」新しい時代の幕開け

(とき)に、初春(しよしゆん)(れいげつ)にして、()()(かぜ)(やはら)ぎ、(うめ)鏡前(きやうぜん)()(ひら)き、(らん)珮後(はいご)(かう)(かをら)す。

時は初のよい月であり、空気は美しく風はやわらかで、梅の花は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣にまとう香りのように薫らせる

万葉集の一文から取られた新元号です。

華やかな万葉の風が香るような風流な歌。

貴族たちは梅の花の下で、奏を楽しんでいたことでしょう。

しかし、その陰では身内での騙し合い権力争いが日常の様に行われていました。

その犠牲となり天皇家に連なる家系に生まれながら非業の死を遂げた人たちは、その無念の思いから怨霊と化した貴族。

万葉の時代を揺るがせた怨霊たち

7世紀~8世紀に花開いた万葉文化。

天皇家を中心とした華やかな貴族文化が思い浮かびます。

長屋王(ながやのおおきみ)もそんな天皇家の一人。

しかも、天武天皇の孫にあたる人物です。

天皇即位も望める立場の人物だったはず・・・

長屋王は聖武天皇に代わって天皇になろうとしている。

これが、天皇の耳に届くと長屋王は国家反逆罪で罰を受ける事になりました。

家族は全て処刑され、一人残った長屋王は自害しました。

が、その遺体は土に葬られることなく海に投げ捨てられたそうです。

天皇家に連なる立場だったというのに・・・

その遺体が流れ着いたのが、高知県の海岸。

そこから、長屋王の祟りが始まりました。

まず、近隣の村には原因不明が流行り始めます。

そして、雷雲が巻き起こり農作物は不作に、

その後、病と雷雲は都を襲い多くの死者を出しました。

その病は、藤原家にも襲いかかります。

藤原家の基礎を築いた藤原4兄弟が、同じ時期に全員亡くなったのです。

この頃になると、各地の役場には民衆からの嘆願書が殺到します。

長屋王の怨霊を鎮めてほしい!」

民衆は知っていたのかもしれません。

長屋王自害の裏に藤原4兄弟が居た事を。

当時、長屋王は天皇の側近く仕える右大臣という立場にいました。

藤原家がどれほど権力を持っていたとしても、天皇の孫という血筋には勝てません。

右大臣や左大臣として権力を握るには、目障りな長屋王を殺害するか処刑する事。

そこで、長屋王による国家反逆罪をでっち上げた。

となれば、長屋王が恨みを残し怨霊となっても仕方がないのかもしれません

権力争いに巻き込まれ、怨霊と化したのは長屋王だけではありません。

長屋王の祖父、天武天皇の系統にはもう一人、天皇家を恐れさせた怨霊。

井上内親王がいます。

彼女は死後、龍となって都を襲ったと伝えられています。

怨霊から怨霊へ繋が負の連鎖

「天武天皇」の画像検索結果

井上内親王は長屋王を死に追いやった聖武天皇の娘。

姉には、孝謙天皇がいます。

孝謙天皇は、天武天皇家の最後の天皇であり女性。

一時は天皇の位を次の天皇に譲りましたが、後に称徳天皇として返り咲いています。

井上内親王は、天武天皇系の皇族です。

夫である光仁天皇はというと、天智天皇の孫。

この時点で、天智天皇系と天武天皇系は一つになります。

しかし、後に夫である光仁天皇によって皇族の身分から、身分をはく奪され庶民扱いになってしまいます。

井上内親王が、光仁天皇に呪いをかけた。

これを信じた光仁天皇によって、井上内親王は息子である他戸親王と共に1年以上も幽閉されました。

その後、他戸親王と共に亡くなります。

二人同時期に亡くなる!という不自然な死は藤原家による暗殺他殺自殺説などはっきりしていません。

井上内親王が無念のうちに亡くなると、都に異変が起こり始めます。

地震が起こり、建物は崩れ、日照りとなり作物は実りません。

季節外れの嵐が起こり、落雷が続く。

光仁天皇は生涯、井上内親王の怨霊を恐れたと言われています。

長屋王は、井上内親王の父。

聖武天皇と藤原家を祟り、井上内親王は夫、光仁天皇と藤原家を祟った。

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天皇に都を捨てさせた最強の怨霊

天皇の位を継いだもう一人の息子が桓武天皇。

桓武天皇も怨霊に悩まされることになります。

それが、早良親王、桓武天皇の実の弟にあたる人物です。

桓武天皇が新しい都「長岡京」を作っていた時、その責任者であった藤原家の人間が暗殺されました。

その犯人の一人として名が挙がったのが、弟である早良親王

この事件の裏には、「自分の息子を次の天皇にしたい」という桓武天皇の思惑があったと言われています。

いずれにしても、早良親王は拘束され新しい都に作られた寺に幽閉されます。

兄である桓武天皇への手紙も拒否された早良親王。

兄への無言の抗議だったのでしょうか?

十日にも及ぶ断食と写経を行い、淡路島に流される途中で亡くなってしまいます。

あえて食事をとらせずに餓死させたという説もありますが、早良親王の怨霊は都や天皇に襲いかかりました。

桓武天皇の可愛い息子が、原因不明の病になり、妻、母、側室が相次いで病死。

都では疫病が流行り、雷雨による水害が発生

それも、一度や二度の水害ではなかったそうです。

人々は、早良親王怨霊祟りと恐れました。

その恐れは、感染するように桓武天皇にも伝わり何度も鎮魂の儀式を行ったり、早良親王を天皇として祀ったりしました。

しかし、それでも収まらない祟りや呪いから逃れるように桓武天皇は、再び新しい都を作る事に決めます。

その新しい都が「平安京」。

桓武天皇は、平安京に怨霊封じの為の寺や神社を作っています。

鬼が入り込むという鬼門

北東の方角や自分の住まいである御所の周りには特に集中して寺社仏閣を配置。

こうした努力が実り、平安京は一千年の都と呼ばれるまでに繁栄しました。

が、本当に早良親王や、井上内親王や長屋王の怨霊は鎮まったのでしょうか?

桓武天皇は怨霊封じの都に守られたようですが、都の外の人々は?

芥川龍之介の羅生門。

ここで書かれて様な光景が広がっていました。

飢饉や戦乱によって、次々と人々は命を落とす。

明日は我が身と、遺体は放置され異臭が漂う。

余談ですが、長屋王が亡くなった年の元号が「神亀」。

井上内親王が亡くなった年の元号が「宝亀」。

漢字だけをみれば共に縁起の良さそうな元号ですが、実際は権力争いが日常となっていた時代

そして、早良親王は延暦に亡くなっています。

永延と暦ではなく負の連鎖が続いていたとしたら・・・・

新元号「令和」は、新しい時代の幕開けに怨霊の負の連鎖も終わりますように!

 

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