【マラソン競技の歴史】人は何故42.195kmを走れるのか?

マラソン

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私は今宵殺される、殺される為に走るのだ。

身代わりの友を救う為に走るのだ。

日没までには間がある、私を待っている人があるのだ。

少しも疑わず、静かに期待してくれてる人がいるのだ。

私は信頼に報いなければならん。今はただその一言だ。

走れメロスより引用

【マラソン】自らの力を限界まで振り絞る。

人はただひたすら走る。

42.195キロもの孤独な道のり、極限にまで自らの体を酷使して疾走するその姿に、人はまた深い感動を覚える。

動物の世界では、これほど長い距離を一気に走り続けるものは存在しない。

チーターやライオン、そして俊足のダチョウも決して例外ではない。

例えば走りのスペシャリスト、サラブレッドは15分以上走ると死に至るという。

その心臓が長い時間走り続けるのに耐えられない為である。

走り続けるという言葉は、人が他の動物と全く違う事を示す重要なカギなのかもしれない。

人はなぜ、自らを支えきれなくなるまで走り続けるのか?

その時、ランナーの体内で何が起きているのか?

人はなぜ、途方もない道のりを走り続ける事が出来るのか?

マラソンランナーの孤独な道のりランナーの孤独と苦痛それは、神が人だけに与えた宿命なのかもしれない。

人は何故42.195kmを走れるのか?

人とマラソンの関りは一体いつからの事だろう?

マラソン競技の歴史

その誕生は今からわずか100年ほど前、1896年の第一回近代オリンピック。

マラソン競技を考え出したのは、かのオリンピックの(ピエール・ド・クーベルタン男爵)。

しかし、彼が手本にした古代オリンピックにはこれほどの長距離競技は存在していなかった。

一体どこから思いついたのか?

紀元前490年、歴史上はじめて東西文明が激突したペルシャ戦争。

ギリシャの大勝利を健脚フェイティスビデス激戦地マラトンからアテネまで40キロの道のりを駆け抜けて伝えた。

それから2400年後、かつての戦地マラトンにちなみ「マラソン」と名付けられて近代に蘇ったのである。

記念すべき第1回の優勝者はギリシャ人。

野山の羊を追いかけていた牧場の番人であるスピルドン・ルイス。

記録は2時間58分50秒 36.75km

では、42.195キロという距離にはどんな意味があるのだろうか?

第4回ロンドン大会、自分の部屋からスタートを観たかったウィンザー候のわがままでスタート地点を変更した結果、42キロのコースに195メートルが加わった。

レースは優勝候補だったドラント・ピエトリが、ゴール目前で転倒。

見るに見かねた役員が助け起こしゴール。

ルール上失格だったが彼の命がけの力走を称え、これ以降マラソン競技の距離は42.195キロとなった

20世紀の到来と共にオリンピック人気は早くも日本に伝わった。

マラソンは、瞬く間に日本人の心をとらえた。

明治34年、東京不忍の池で12時間競争が開催。

全国選りすぐりの「いだてん」達の中で上位を占めたのは、人力車夫や飛脚などの走りのプロだった。

それから11年後、明治46年日本は初めてオリンピックに参加した。

マラソンには、東京高等師範の学生が参加したものの結果は18kmで棄権。

戦後マラソンは、一人の天才ランナーの出現で一気に花開いた。

エミール・ザトペック(チェコスロバキア)別名:人間機関車

「エミール・ザトペック」の画像検索結果

苦渋に満ちた表情で走る事からこの名が付いた。

5000m、10000m、そしてマラソンと不滅の三冠王に輝いた彼は、この時マラソン初体験であった。

ザトペックはマラソンを走りながら優勝候補のピータースにこう話しかけた「ペースはどうだい?」

不意打ちで話しかけられたピータースはペースを上げすぎリタイア。

ザトペックこそ意識的なペース配分がマラソンには最も重要な事だと見抜いた男だった。

記録は2時間23分03秒。

それから8年後、世界は驚異的なハイスピードで飛ばす一人の選手にクギ付けになったのである。

その名は、アベベ・ビキラ 記録2時間15分16秒

「アベベ・ビキラ」の画像検索結果

マラソン界に旋風を引き起こした男 彼の速さには誰もが目を見張った。

あまりのハイペースにつられ、なんと15位の選手までもがザトペックの記録を破るおまけ付き。

このローマ大会こそ、マラソンスピード化時代の始まりだった。

アベベは続く東京大会でも優勝。

更に自らの記録をも塗り替えるという、不滅の金字塔を打ち立てたのである。

記録 2時間12分11秒。

続くメキシコ大会でも優勝したのは、アベベと同じアフリカ出身のマモ・ウォルデ(ケニア)だった。

記録 2時間20分26秒

ケニアのマモ、タンザニアのジュマ・イカンガー、エチオピアのメコネン、マラソン界はこれをきっかけにアフリカ勢のスピードランナー黄金時代を迎えた。

そして、エチオピアのベライン・デンシモ彼が世界最高記録の2時間6分50秒を打ち立てた。

そして現在、マラソンの世界記録は2018年9月16日、ベルリンマラソンで、16年リオデジャネイロオリンピック(五輪) 金メダルのエリウド・キプチョゲ(33=ケニア)が2時間1分39秒で世界記録を樹立した。

「エリウド・キプチョゲ」の画像検索結果

人は何故42.195kmを走れるのか?

100mランナーは、呼吸を止め一瞬のうちに走りきる。

対してマラソンランナーは、呼吸をしながら走り続ける。

この時、筋肉はどの様に活動しているのだろうか?

100mのランナーの筋肉は、数千から数万本の金原線維から出来ている。

この収縮のエネルギーは、筋グリコーゲンが乳酸に変化する時に作られるATPという物質によって生み出される。

筋肉を動かし続けている限り、乳酸は増え続ける。

だが乳酸は疲労物質と呼ばれ、筋肉の収縮を妨げる。

その時、筋肉は痙攣などの症状を起こし、運動不可能となっていまうのだ。

マラソンランナーの場合も、エネルギーはATPの分解によって生まれる。

だがこの収縮には乳酸が生まれない。

呼吸によって筋肉に取り入れられた酸素が、ミトコンドリアの中で筋グリコーゲンを燃焼させる。

その時でたエネルギーによってATPが補給され筋肉は収縮する。

この場合、酸素の供給が続く限り運動は続けられる。

ミトコンドリアは、いわば体内の発電所なのだ。

100m走の様な運動を無酸素運動と呼ぶ。

バッテリー型のこの運動は、ハイパワーだが持続性が無く限界は40秒程度である。

一方、マラソンの場合は有酸素運動である。

自家発電型のこの運動は、ローパワーであるが持続性に優れている。

また100m走とマラソンでは、使われる筋肉そのものも違う。

瞬発力を必要とする無酸素運動に使用される筋肉を速筋繊維と呼ぶ。

一方、持久力を必要とする有酸素運動に使用される筋肉を遅筋繊維と呼んでいる。

マラソンランナーの筋肉は遅筋部分が多く、100m走者の筋肉は速筋部分が多い。

遅筋には酸素を運ぶ血液が豊富なので、赤く赤筋と呼ばれている。

それに対して速筋は、白いので白筋と呼ばれる事もある。

魚でいうと持久的に回遊するマグロは赤身、瞬発力で敏速に動くヒラメは白身なのである。

日本マラソン界の一時代を築いた瀬古利彦の速筋と遅筋の割合は、3:7。

日本人離れしたストライド走行で驚異的な走りを見せた中山に至っては、なんと2:8。

そして、天才スプリンター、カール・ルイスは8:2で速筋が多いのだ。

マラソン選手には、多くの赤みの筋肉と酸素運搬能力が備わっているのである。

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人とマラソンの関り

人にとって走る事はスポーツとなってしまった訳ではない。

獲物を捕らえる為に走り続けてきた部族が存在した。

メキシコ・チワワ州、空気も薄くこう配の厳しい山間に昔ながらの暮らしを続ける少数民族タラウマラ族がいる。

タマウマラとは足で駆けるという意味を持つ。

かつて彼らは動物が長時間走る事に耐えられない事を見抜いていた。

その心臓が限界を超え倒れるのを待ち捕獲していたという。

現在も走る事は神聖な事とされ儀式にも取り入れられているという。

400万年前、直立2足歩行を始めた人は森を出てサバンナを住処とした。

以来、様々な脅威に晒され続けてきた。

逃げる、追いかける、そしてまた逃げる。

そんな古の記録が年々と受け継がれ人は走るのだろうか。

長く、苦しくて辛い42.195キロ

人はなぜ走るのか?

記録の為か、征服欲の為か、あるいは本能なのか?

「全てが光に包まれ、身体中溶けてしまいそうな、今までにない感覚が襲ってきた。」

多くのランナー達はこう語る。

極限まで走る事で、遥か昔に失ってしまったロストワールドへ飛び込んでしまうのかもしれない。

 

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