【バンパイア伝説の真相】吸血鬼を倒す儀式は本当に実在したのか?

スポンサーリンク




永遠の命を持つ種族「バンパイア」?

ヨーロッパで次々に見つかる謎の遺体。

果たして本当に吸血鬼は実在したのか?謎に迫る。

バンパイア伝説の真相

吸血鬼それは人の血液を糧に永遠の命と若さを保つ究極の生物。

実際に人間が永遠の命を得たらどれ程恐ろし事になるのか!

歴史に残る本物の吸血鬼の記録は実在するのだ。

1897年イギリスの作家ブラム・ストーカーが発表した「ドラキュラ」。

吸血鬼のドラキュラは、創作上の魔物だった。

ところが、ドラキュラより遥か昔に町はずれの墓地で吸血鬼が実在していた。

吸血鬼実在の証拠は歴史上に数多く残されているのだ。

東ヨーロッパのブルガリア黒海沿岸の港町ソゾポル。

2012年墓地の遺跡から不気味な遺体が発見された。

その遺体の心臓には鉄の杭が打ち込まれていたのだ。

調査の結果、遺体は14世紀頃、50~60歳位の男性。

死体が吸血鬼として甦らない様、埋葬の際に胸に鉄の杭を打ち込んだと考えられる。

また、チェコのオーストラリア国境付近のチェスキー・クルムロフ。

18世紀の墓地遺跡から、頭蓋骨が両足の間にある遺体が発掘された。

遺体損壊というダブーを犯すほど吸血鬼の復活は恐れられていた。

オーストリアの首都ウィーン中央ヨーロッパを代表する華麗なる都。

そこに1725年、恐怖の知らせが届いた。

原因不明の連続怪死事件の知らせだった。

事件の現場はウィーンから700キロ程離れたセルビアのキソロヴァ。

記録によると、わずか8日間で9人が相次いで死亡。

しかも全員が死の間際、同じ証言をしていたのだ。

その内容は「10週間前に死んだ男に首を絞められた」と言うもの。

死者による連続殺人、その正体とは「バンパイア」。

ウィーンに人知を超えた恐怖がもたらされた。

当時の事件が起きたセルビアは、オーストリアにとって新たに交流を始めた地域。

長年に渡りイスラム教を中心とするオスマン帝国に占領されてがいた、オーストリアとの戦争によってセルビアの一部からオスマン帝国は撤退。

オーストリアの影響下に置かれていた。

戦が続く世の中で蠢く、甦る死者バンパイアとは何なのか?

バンパイアの噂はウィーンを通じて周辺の各国にも広がっていった。

ドイツミューヘンの図書館には「吸血鬼事件」の中でも最も壮絶な記録が残されている。

セルビアに駐留している軍の医師が上層部に報告した「バンパイアと呼ばれるものについて」という公式文書。

スポンサーリンク

小さな村で起きた「バンパイア事件」

セルビア南部メドヴェギア村、人口およそ240人。

1726年ごろ村人4人が原因不明で死亡。

皆、死の直前にこう語った・・・・

「アルノルト・パウルに襲われた~!」

アルノルト・パウルは、およそ1カ月前に荷馬車の事故で急死した男。

死んだはずの男が墓場から甦ったのだ。

パウルはバンパイアになったのかもしれない。

村人たちはパウルの墓を掘り返し棺を開けた。

そこには・・・・

村人達の証言によると、死体は完全で全く損傷がなく目・鼻・口・耳からは新鮮な血が流れており手足の古い爪は剥がれ落ち新しい爪が生えてきていた。

村を守るにはバンパイアを滅ぼすしかない!

パウルの心臓に鉄の杭を打ち込んだ。

「ウワァァァァ~」この世の者とは思えない断末魔。

パウルの息の根を止めた村人達は犠牲者4人の遺体にも杭を打ち込み死体を燃やした。

これでバンパイアが伝染する恐れはなくなると誰もが安心した。

ところが、村人は更に死に続けた。

わずが3か月で死者17人。

村人達は騒いでいた、パウルは人間だけでなく家畜も襲って血を吸っていたのだと。

その家畜を食べた者がバンパイアになって再びバンパイアを増やし続けていると。

村人達は疑いのある墓を全て掘り起こし死体に杭を打つだけでなく、頭まで切り落とした。

更に焼いて灰にし川に流したのだ。

18世紀前半、セルビアの農村からもたらされた2件の吸血鬼事件の報告は、その存在を知らなかったヨーロッパ中西部の人々に衝撃を与えた。

セルビアの事件は道端で配られた新聞などの出版物により広まりました。

これによってバンパイアの懸念がヨーロッパ各地に知れ渡ったのだ。

死者が蘇る人知を超えた現象。

東ヨーロッパ「バンパイア」の恐怖は18世紀、人間の生と死の価値観を大きく揺さぶったのだ。

【バンパイア伝説】死者が蘇る人知を超えた現象の謎を解く記事はこちら

Related Post

スポンサーリンク